空手のススメ、徳島の田舎道場から

written by 逢坂祐一郎(新極真会 第8回世界大会 2位)

空手における情緒と情操のススメ、思い出深い試合と大会

 先日、昔の稽古仲間が添付動画 (8 分と少し長いですが、よろしければご覧ください。) の存在を教えてくれました。


www.youtube.com

 この動画は、この大会も共に戦った私の師匠筋に当たる先輩がアップされている動画を編集しました。

 私が 21 歳の頃の試合で当時は大学生で山口県在住であり、山口県宇部市で開催された大会です。
 山口県の地元選手として出場していますが、私の最も思い出深い試合であり大会です。
 思い出深い試合となった理由の一つは、この大会には我々の空手の創始者を始めとする、今では様々な理由で一緒に会することのない選手、師範が参集した大会であるからです。

 またもう一つの理由は、動画のとおり私は相手選手のスタミナと粘り強さに屈服し最終延長で敗退しましたが、相手選手の強さに大いに感化されたことにあります。

 試合序盤は体格差で自分の優位を感じていましたが、試合が進むにつれ下がらせても技を返してくる粘り強さに気持ちが怯み、自分のスタミナを失っていきました。
 最終延長ではどうにか前には出ているもの、正直それも苦し紛れであり手数は相手選手が圧倒的であり、内心では完全に勝負対する執念で根負けしました。
 試合中、尽きることのない相手選手のスタミナと粘り強さには怯みを感じましたが、そのスタミナと粘り強さに、それを培った相手選手の豊富な稽古量も感じました。
 「このスタミナと粘り強さを身に付ける稽古を相手選手はしてきたんだ」と、相手選手の稽古そのものを肌を通し身体で感じましたが、試合後には「自分は稽古量の時点で負けており、まずはスタミナ稽古を」と思い、自分の敗因の認知は次の試合、大会に向けての課題となりました。

 先のブログで、空手における情緒と情操について書きました。
 ここでいう情緒は〝物事への感慨から派生する感情〟であり、情操は〝高い次元での感情〟です。
 上記の試合、大会が最も思い出深いものとなった理由の要因には、この試合、大会で感じた情緒と情操の深さにあります。
 試合での情緒は、相手選手のスタミナと粘り強さに感じた怯みであり、また豊富な稽古量に対する相手選手へのリスベクトです。
 そして情操は「自分もスタミナを付け、粘り強さを身に付けなければ」と思った自分への課題です。

 私は元々スタミナに課題があり、選手引退までにその課題を完全に克服した訳ではありませんが、この大会以後、スタミナ強化への意識は一層高め、動画の対戦選手とは以後 2 度対戦しましたが、2 度目の対戦はまた敗退しましたが、3 度目の対戦でどうにか勝つことができました。
 動画の選手以外にも選手現役時代、強い選手とはたくさんの試合をしてきましたが、思えば強い選手との対戦のたびに情緒としての敗因の認知 ( 時には勝因の認知もありましたが )、情操としての次の試合に向けての課題は募り、試合における情緒と情操は深まっていきました。
 強い選手とのたくさんの試合を経て深まった情緒と情操は、今振り返るに豊かな選手生活として、自身の胸の内の密かな誇りになったように思います。
 そして豊かな選手生活は、そのままプライスレスな人生の豊かさと私は感じています。

 またこの大会は先述のとおり、我々の空手の創始者である大山総裁、我々の空手の現在の長である新極真会代表・緑師範も列席された大会です。
 大会後のレセプションでは大山総裁の席に挨拶に行きましたが、その場で「君は強くならなればならない」「君には期待している」との言葉をいただきました。

 50 歳を迎え、近年物忘れが多くなってきた私ですが、上記の言葉だけは大山総裁の声色とともに今でもはっきりと耳朶に残っています。
 当時 21 歳の私はそれまでの人生のほとんどを、自分への強い劣等感ともに過ごしてきました。
 空手を始めたのはその劣等感を払拭したいがためですが、空手を本格的に始めて 30 数年が経過した 50 歳の現在、劣等感を完全に払拭した訳ではありませんが、自分の劣等感の受け止め方は変わりました。
 空手のお陰による自分への劣等感の変質についても、またブログで書きたいと思いますが、変質の大きな契機になったのは、この時の大山総裁の言葉です。

 大山総裁は今は知る人も少なくなったと思いますが〝ゴッドハンド〟との異名を取り、当時から神格化された存在でした。
 空手の神様からいただいた言葉は、自分を奮い立たせる感動となり、自分の可能性を信じる自信となりました。
 そしてそれまで漠然と目標としていた全日本大会の舞台をはっきりと意識し、そして出来るうるならば世界大会の舞台へと目標を飛躍させるようになりました。

 この大会においての私の情緒は感動と自信であり、情操は目標に向かうことです。

 空手は試合が情緒と情操を深め、そして大会もまた選手の情緒と情操を深めるものと思います。
 日々の稽古も情緒と情操を育むものでもありますが、空手は様々なシーンで情緒と情操を育み、深めるものと思います。

 その情緒と情操は人生の豊かさに繋がるものと思いますが、私は空手の情緒と情操で自分の劣等感を変質させ、豊かな選手生活を送ることが出来ました。
 豊かな選手生活を経て空手の指導者となった今、空手の情緒と情操を道場生に感じてもらえる指導者を目指して行きたいと思います。

 < ご案内・道場生対象 >
 明日の木曜日 (2/23) の美馬道場の稽古は祝日のためお休みですが、鴨島道場で以下のスケジュールで支部内強化稽古を行います。
 9 時~10 時…型稽古 ( 道着着用 )
 10 時 15 分~12 時 15 分…スパーリング・ミット稽古 ( 服装自由 )
 道場生ならば年齢等の参加制限はありません。
 4 月、5 月は大会が目白押しです。
 都合の良い道場生は頑張りましょう !!
 2.22.2023 記

空手女子のススメ、バレンタイン・レターに感じた武道の情操

 昨日 (2/19) の日曜日は愛媛県新居浜市で四国・岡山合同稽古でした。
 参加した道場生は、今回も良い稽古が出来ました。

 合同稽古を主催、準備していただいた三好師範、野本師範代、近藤先生、誠にありがとうございました。
 参加した道場生の皆んな、よく頑張りました。

 それぞれの試合に向けて、昨日学んだことを活かせるように、また頑張ろう !!

 また保護者の皆様もお疲れ様でした。

 さて先週はバレンタインデーでした。
 幼・小・中・高・大学とバレンタインデーに良い思い出がなく、その日は惨めで苦い思いをチョコレートの代わりに散々に味わってきた私も、今は空手の先生の役得でたくさんのチョコレートをいただくようになりました。

 今年も皆さん、ありがとうございました。

 道場生からはチョコレートに添えてお手紙もくれた子がいましたが、その中の一通には「空手がつらい時もあるけど、これからもがんばるので、よろしくおねがいします。」との一文が書かれていました。

 書いてくれたのは低学年の子でしたが、我々の空手は実際に突き蹴りを当てる空手、「空手がつらい」との一文は紛れもない彼女の本心だと思います。
 道場生に「空手がつらい」と思われるのは、辛いことが空手の本質の一面であるとは言え、指導者としてはちょっと複雑に思います。
 しかし「これからもがんばる」と書いてあるのも彼女の本心に思います。
 〝辛いけど、頑張ろう〟と思う彼女の気持ちには、指導者として救われる思いがします。

 もし彼女が、誰かに「辛いのに、なぜ空手を頑張るの ?」 と問われれば、上手くは答えられないと思います。
 彼女が空手を頑張る理由は、恐らくは、空手は辛いからこそ頑張る意義があることを漠然と感じているからに思います。

 小さい女の子が〝辛いからこそ空手は頑張る意義がある〟と思う気持ち、私はその気持ちは高い次元の感情とされる〝情操〟であると思います。
 それも武道の情操であると思います。

 このところのブログでよく書いていますが、私は武道とは武士道と思っています。
 武士道は不文律で漠然とした精神の美意識ですが、不文律、漠然なゆえにその精神を表す言葉が多く残されています。
 そのうちの一つ「為せば成る、為さねば成らぬ、何事も」との言葉は、藩政改革を断行しアメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディも尊敬したとされる江戸時代後期の米沢藩主、上杉鷹山の言葉です。

 また明治維新を主導した薩摩 ( 現在の鹿児島県 ) 武士団には、「議を言うな」との言葉が古くから言い伝えられているそうです。
 「議を言うな」とは「理屈を言うな」といった意味ですが、上杉鷹山の「為せば成る」同様、両者の言葉に論拠みたいなものはなく、まさしく漠然とした精神の美意識に思います。
 バレンタインの手紙に書かれていた〝つらいけどがんばる〟の気持ちも、その論拠をただせば漠然としたもので、漠然ゆえに私は上杉鷹山の「為せば成る」、薩摩武士団の「理屈を言うな」といった言葉と同様の精神の美意識だと思います。
 〝自分はどうあれば正しく、美しく生きられるのか〟といった武士道における美意識のように、高い次元の感情を漠然と心に宿すことは、先に書いたように〝情操〟と思います。
 そういった情操は〝頑張ることが、凛々しさとしての、美しい人間の生き方〟と感じ取るような〝情緒〟を育むものであり、また逆に情緒は、情緒を自身に反映し自身の行動とする情操に至るものと思います。

 昨今、女性で空手を習う人も増えてきましたが、しかし空手は男性の方が多い世界です。

 加減が出来ない小学校低学年以下のスパーリング、組手では、男子に容赦のない突き蹴りを当てられて泣く女の子の姿もしばしば見受けられます。
 そういった世界であるからこそ、女の子の方が「空手はつらい」と思うことが多くあり、そしてそう思うことは空手では不憫ながら避けられないことだと思います。

 バレンタインデーでチョコレートをくれる道場生は、手紙をくれた子同様に、皆んなが「空手はつらい時もあるけど、頑張ります。」といった気持ちを持って、空手を頑張っていると思います。
 その気持ちは武道としての情操を高め、多感な社会的な情緒を育むものと思います。

 武道の情操により育んだ多感な情緒は、彼女たちが大人になった時、きっと彼女たちの凛々しさなどの素敵な魅力になっていると思います。
 大人になるまでに色んな道が開け、大人になった彼女たちは自分の道を進み、空手はしていないかもしれません。
 しかし、それぞれの道を大人になった彼女らは、きっとその魅力で凛々しく歩んでいると思います。

 そんな彼女たちを思い浮かべながら、いただいたチョコレート ( お酒もありますが ) は全ていただきたいかと。
 2.20.2023 記

100 人の一人のスタートラインのススメ、それぞれに合ったスタートライン

 約 30 年前の昔、私が我々の空手を習い始めた頃には「黒帯になるのは 100 人の入門者のうち一人」などと言われていました。
 我々の空手は約 30 年前から海外、または日本のほとんどの都道府県に支部を展開する世界組織、全国組織ですが、当時、おそらく全国すべての道場の 1 年のうちの総入門者数と 1 年のうちの初段昇段者総数の比率は、実際 100 人に一人ぐらいだったと思います。

 我々の空手が漫画、映画にもなり一大ムーブとなった 1970 年代、1980 年代などは、私はまだ我々の空手を始めておらず実感として知りませんが、我々の空手の入門者は今では信じられないほど多く、往年の東京池袋の総本部道場では 1 日の入門者数が 100 名に至った頃もあったそうで、その当時の黒帯になる比率はもっと少なかったかもしれません。

 我々の空手が一大ムーブになった一因は〝100 人のうちに一人〟といったフレーズに代表される、人を高揚させる武道空手としての過激さ、過酷さにあったと思います。
 また我々の空手が一大ムーブになるきっかけは、創始者が主人公となった漫画とともに、我々の空手の試合の過激さ、過酷さが、映画を通し映像として多くの人の目に止まる機会を得たからだと思います。

 我々の空手の試合が魅せる過激、過酷さは、今の格闘技を模したエンターティメントがネット配信で見せているような過激さとは違います。
 我々の空手が昔、一大ムーブを起こしたのは、我々の空手が魅せる過激、過酷さが、武道の本質にのっとった空手の真価を多くの人に伝え、そして共感を得たからだと思います。

 試合における過激、過酷さは、我々の空手の真価の一つです。

 一大ムーブを引き起こした我々の空手の試合は、昔は今の大会カテゴリーで言えば一般上級の部 ( 高校生以上の男子のみが出場資格 ) のみでした。
 今の大会は老若男女、色んな世代に門戸が開かれ、多くの各世代・男女別の競技部門で防具での安全性が配慮されていますが、昔の試合は一切防具を付けていませんでした。
 それゆえ昔の選手は、血気盛んな若者に必然的に限られていましたが、私が試合に出るようになった 30 年前くらいから金的サポーターだけは付けるようになりました。
 昔とは様相が変わった今の大会ですが、昔の試合は今の大会では一般上級の部として、我々の空手の真価をたたえたまま今に残っています。

 その一般上級の部、私が我々の空手を始めだした頃が選手層の厚さはピークとなり、それ以後は色んな影響で少しずつ選手層が薄くなり、今は実感としてピーク時の半分以下の選手層のように個人的に思います。
 今の大会は一般上級の部への参加者が昔に比べて極端に少なくなりましたが、〝100 人のうちに一人〟という我々の空手のフレーズは、今は白帯の入会者が黒帯になることよりも、入会者が稽古を重ねて強くなり、一般上級の部へと挑戦するフレーズにふさわしいように個人的に思います。

 先日の日曜日 (2/12) に行われた第 2 回香川県空手道選手権大会、幼稚園の頃に入会したある道場生が 12 年の時を経て、一般上級の部に初挑戦しました。
 結果は優勝、一般上級の部での上出来のデビュー戦となりました。

 先述のとおり我々の空手の試合の真価は、今の大会のカテゴリーで言えば一般上級の部にあります。
 先のブログに書きましたが、空手の試合は空手の武道性を高めるものであり、その武道性はこれからの社会の希望となる精神を有するものです。
 個人的には試合における空手の武道性の高揚は、我々の空手の真価である一般上級の部において一番高まるものと思います。
 一般上級の部にデビューした道場生は、防具を付けるセーフティールールでこれまで試合をたくさん重ねてきましたが、これからは新たに踏み出したカテゴリーで自身の武道性を高めるべく試合を重ねて行って欲しいと思います。

 そういった意味で彼は新たなスタートラインに立ったと思いますが、私はそのスタートラインを〝100 人の一人のスタートライン〟だと思います。

 〝100 人の一人のスタートライン〟
 約 30 年前に「黒帯になるのは 100 人の入会者のうち一人」と言われていたように、今の空手界の現状では、入会者が一般上級の部に挑戦するまでになるには、誇張でなく実際のところ 100 人に一人くらいに思います。
 願わくは、多くの新極真会徳島西南支部の道場生に、我々の空手の真価に至る〝100 人の一人のスタートライン〟に立って欲しいと思います。

 しかし〝100 人の一人のスタートライン〟は、人、それぞれに合ったスタートラインがあると思います。
 またスタートラインは一つでなく、いくつものスタートラインがあると思います。 道場生には空手の真価に至るスタートラインに立って欲しいと思う一方、道場生が人生をかけて立つべきスタートラインは空手以外にもあると私は思います。
 自分あったスタートラインを見つけることが大切だと思いますが、ただ道場生にはそれぞれの〝100 人の一人のスタートライン〟を必ず見つけて欲しいと思います。

 色んな分野で自分唯一の〝100 人の一人のスタートライン〟を見つけ、そのスタートを切ることでオンリーワンの自分の豊かな人生の道は開けるものと思います。
 豊かな人生の道が広がる〝100 人の一人のスタートライン〟ですが、自分にあったスタートラインを見つけてスタートを切っても、その道を進むことは容易なことではありません。
 その道には、様々な困難が待ち受けています。
 その困難を道場生には、空手で培った武道性で乗り越えていって欲しい思います。
 道場生は自分の〝100 人の一人のスタートライン〟に連なる道を困難に負けずに進んでいくことで、我々の空手を学んだ意義を感じることが出来ると思います。

 新極真会徳島西南支部の道場生が、我々の空手の学んだ意義をそれぞれの自分の道において感じるように導くべく、私は約 30 年前に一人で切った空手のスタートラインから連なる自分の道を歩んで行きたいと思います。

 < ご案内・道場生対象 >
 明後日 (2/19) の日曜日は四国・岡山合同稽古です。
 参加する道場生の皆さんは頑張りましょう !!
 なお今回は愛媛県新居浜市の山根総合体育館で行われます。
 稽古場所にご注意ください。
 ( 大会案内 )
 第 40 回全四国空手道選手権大会…4/16 ㈰、高知市開催、支部内締切り…3/3 ㈮
 第 1 回兵庫県空手道選手権大会…4/30 ㈰、神戸市開催、支部内締切り…2/23 ㈭
 第 1 回全四国空手道選手権大会・武神杯…4/30 ㈰、徳島市開催、支部内締切り…3/11 ㈯
 第 5 回徳島県フルコンタクト空手道選手権大会・オアシス杯…5/14 ㈰、三好郡東みよし町開催、支部内締切り…3/7 ㈫
 現在、以上の大会の申込書を配布中です。
 出場希望の道場生は指導員まで申出てください。
 2.17.2023 記

試合のススメ、武道性を高める、試合における武道性の高揚

 一昨日 (2/12) の日曜日は、第 2 回香川県空手道選手権大会でした。

 大会を主催された原内師範、香川中央支部のスタッフの皆様、素晴らしい大会に参加させていただきありがとうございました。

 新極真会徳島西南支部からは 35 名がエントリー。
 錬成組手部門でミオちゃん、イロハちゃん、アルト君が優勝、ソウシロウ君が準優勝、リョウマ君が 3 位。

 団体型部門でミツキちゃん、アスマ君、カイト君チームが優勝、個人型部門でカイト君が優勝。

 組手部門でタイシン君、トキ君が優勝でした。


 残念ながら入賞に至らなかった皆んなも、いつも通り良く頑張りました。

 香川県大会の結果を踏まえて、また今週からの稽古に頑張って欲しいと思います。
 保護者の皆様も、お疲れ様でした。

 さて、私は「試合は個人の都合に合わせて挑戦すれば良い」と思っていますが、都合が合うのであれば道場生にはどんどん試合に挑戦して欲しいと思っています。

 道場生に試合を推める理由は、空手の試合は空手の武道性を高めるからです。

 私は〝武道は武士道〟と常々ブログで書いています。
 武道である武士道は美意識であり、人の意識であるゆえに漠然とした面もあります。
 仏教の経典、キリスト教の聖書のようなものは武士道にはなく不文律なものですが、明治後期から昭和初期に教育者、政治家として活躍した新渡戸稲造は不文律な武士道精神を「武士道」という表題の本で著作し、西欧諸国に武士道を紹介しました。
 新渡戸稲造の「武士道」は英文ですが、和訳も出版され、その和訳出版の「武士道」は私も読みました。

 私も読んだはずの、しかも未だに持っている「武士道」には「武士道の中核は〝惻隠の情〟である」と書かれていると ( 恥ずかしながら私の記憶に残っていませんが )、先ごろ読んだ違う本に書かれていました。

 〝惻隠の情〟とは〝哀れに思う気持ち〟〝可哀想であると感じる心持ち〟とネットで調べると出てきます。
 惻隠の情は弱者に対する気持ちや心ですが、武士道では惻隠の情は心に浮かべるだけでなく、情を行動としなければなりません。
 惻隠の情を行動とすることは、空手で言えば私がよくスパーリングの時に喚起する「相手が泣き出したら手加減をする」といったことです。
 惻隠の情を行動とするには、対象の相手より自分が強くなければなりませんが、空手の場合はそれは相手よりも技量・力量が上回れば良く、ある意味簡単です。

 しかし社会で惻隠の情を行動とするには、時には身を切るようなリスクを覚悟をする必要が生じてきます。

 グローバル社会、私が高校生の頃から提唱されている現代社会の進むべき方向性ですが、経済のグローバル化は、富めるものは富み、貧しいものはさらに貧しくなる格差社会を生み出したそうです。
 ある作家は「グローバル社会における格差社会を是正するには、武士道における惻隠の情を人々が持ち、弱者を助けることの出来る人が少々の損害を被っても、弱者を助けなければならない。」といったことを述べ、「武士道精神はこれからの社会の希望になり得る」といったことも述べています。

 私は武士道がこれからの社会の希望になり得ることを、武道の矜持にすべきように思います。

 これからの社会の希望となる武士道、その中核は惻隠の情ですが、惻隠の情には強さと身を切るようなリスクを背負う覚悟が必要です。
 空手の試合、特に我々の空手の試合は、その強さとリスクを背負う覚悟を養うものです。
 リスクにおいては「試合で怪我をするかもしれない」「試合に負けて落ち込むかもしれない」などの様々なリスクを覚悟としてを背負うものですが、様々な覚悟を背負って稽古を重ね試合に挑戦することで、惻隠の情を行動できる強さは身につくものと思います。
 世間一般的に武道という言葉は、単なるお題目として使われる事が多いように個人的に感じたりしますが、武道がどういったものであるかを武道をうたい、志す人たちは明確に示すべきように思います。

 私は繰り返して述べているように、武道とは武士道であり、武道は武士道として社会、特に格差社会の是正を目指すべき、これからの社会の希望となる精神を有するものと思っています。
 その精神は惻隠の情ですが、武道の中核も武士道同様に惻隠の情と思います。
 武道性を高めるとは、惻隠の情を深め、それを社会で行動できるように強さと覚悟を養うことと私は思います。
 強さとリスクへの覚悟が必要な武道性の高揚、試合はその高揚の絶好の機会です。
 新極真会徳島西南支部の道場生には、武道性を高めるために試合に挑戦して欲しいと思います。
 支部内締切りに期日がある直近の試合には、第 40 回全四国空手道選手権大会 ( 支部内締切り 3/3 ㈮ ) があります。

 道場生の皆さん、頑張って四国大会に挑戦しましょう !!
 2.14.2023 記

誰にでも出来る空手のススメ、空手の〝誰にでも出来る〟は〝簡単に誰でも出来る〟ではない本質

 〝誰にでも出来る空手〟空手の宣伝文句でよく使われるフレーズです。
 新極真会徳島西南支部でも掲げる宣伝文句ですが、当道場で掲げる〝誰にでも出来る空手〟の〝出来る〟は具代的に空手の技を意図しています。

 例えば、添付動画最後の相手のパンチをボクシングでいうダッキングというディフェンス技術で躱して打つ、ボクシングで言うボディフック。


www.youtube.com

 動きはボクシング的ですが、私的には技としては空手の稽古で練り上げた動作を基幹としており、空手の技でないような技でも空手の稽古をすれば、誰にでも出来るようになり、空手におけるところの〝出来る〟の意味合いに幅広さを付加しています。

 動画のボディフックは相手のパンチに対するいわゆるカウンター攻撃ですが、カウンターは空手、また武道全般的には〝先 ( せん )〟と言われる技術です。
 先は間合い ( タイミングと距離 ) の技術ですが、先を取るための間合いのタイミングと距離は、動画のボディフックに至る前に行っている相手のパンチに対するディフェンスで掴むのが、その手段の一つです。
 実際の技となる自分のパンチ被弾させるための間合いへの踏み込みは、空手の移動稽古で練り上げた足運び、カウンターのパンチはコンバクトであることが不可欠ですが、パンチのコンパクトさは空手の突きの要点を活かしています。

 上記の間合い、足運び、突きの要点を習得すれば、添付動画のようなボディフックは誰にでも出来るものですが、しかし実際は誰しもが簡単には出来るものではありません。

 出来ない要因としてカウンター・先 ( せん ) に必要な間合いがスパーリング、組手のような自由攻防で掴めない、間合いを掴んだとしても相手のパンチを避け、なおかつ自分のパンチを被弾させるためのスムーズな足運びが出来ない、間合いが掴めて踏み込みが出来てもコンパクトなパンチが打てない、といったことにあります。
 上記の出来ない要因を克服すれば良いのですが、しかし、その出来ない要因の克服こそが実は簡単でなかったりします。

 空手の稽古体系は、その克服方法を本来丁寧に示しています。

 克服方法は、すぐに身につく簡単なものではありませんが、根気、そして何より稽古への素直さがあれば、誰にでも克服できるものです。

 空手の〝誰にでも出来る〟は〝簡単に出来る〟ではないと、私は思います。

 空手に限らず宣伝的なフレーズの〝誰にでも出来る〟には、一般的に私は 2 つの〝誰にでも出来る〟があると思います。
 それは、何も労さず簡単に誰にでも出来るものと、誰でにでも出来るが出来るには努力が必要とするものです。
 私は空手は後者であり、後者でなればならないと思います。

 その昔、ワリカンで 100g 当たり 350 円の肉と 100g 当たり 700 円の肉を用意した友人とのバーベーキューで、私は 350 円の肉を 700 円の肉と友人たちに騙され「上手い、上手い」と食べ続けました。
 その傍らで友人らは 700 円の肉だけをほくそ笑みながら食べ続けていたのですが、そんな思い出のあるバカ舌な私ですが、卵かけご飯と親子丼の違いは分かります。
 卵かけご飯は誰でも簡単に作れる美味しい卵料理ですが、同じ卵料理でも親子丼は美味しいさを追求するならば、熟練な調理技能の習得が必要となり、美味しい親子丼は卵かけご飯よりも同じ卵料理ながら、玄妙な美味しさを味あわせてくれます。

 親子丼は空手のように、本来ならば誰もが簡単には美味しく作れないものだと思います。
 しかし、親子丼にはスーパーに売ってある親子丼の素のように、調理技能が必要とされる美味しさが、予めに用意された調味料が存在します。
 親子丼の素を使えば、誰もが簡単に美味しい親子丼が作れます。
 親子丼が誰にでも美味しく簡単に作れるようになったのは、経済至上主義におけるところのイノベーションに思います。

 あらゆる分野における経済至上主義のイノベーションによって、また経済至上主義によるコマーシャルが蔓延ることによって現代社会では、〝誰にでも〟=〝簡単に〟のニュアンスを多くの人が持つようになったと思います。

 しかし空手には経済至上主義のイノベーションは適応せず、空手の〝誰にでも出来る〟が〝簡単に出来る〟ではない本質は、変えようがないと私は思います。

 現代社会において当道場のように〝誰にでも出来る空手〟を掲げる空手が、空手の〝誰にでも〟が〝簡単に〟でないことを示すことは、一見詐欺のようであり、経済至上主義のコマーシャルのようには、人心を捉えるものではないかもしれません。

 しかし空手では、簡単に出来ないことを誰にでも出来ると示し、また出来るための稽古体系を丁寧に指導し、そしてその稽古体系に誰にでも出来るようになるための根気、素直さなどの心を説くことで、空手は〝空手道〟となり、空手道にはイノベーションが生み出した便利な商品とは違う、プライスレスな価値が見出されるものと思います。
 〝誰にでも出来る空手〟新極真会徳島西南支部の空手に、プライスレスな価値を高めるために掲げて行きたいと思います。

 < ご案内 >
 明後日 (2/12) の日曜日は第 2 回香川県空手道選手権大会です。
 スケジュールは大まかに以下の通りです。
 8 時 20 分…開場
 9 時 20 分…組手・錬成部門開始
 10 時 10 分~11 時 20 分の間に…型部問開始
 13 時 30 分…開会式・組手・県大会部門開始
 新極真会徳島西南支部は 8 時 20 分の開場で受付けが済み次第、組手・錬成部門のアップをします。
 型部門のアップは各自で行い、組手・県大会部門のアップは 12 時 20 分より行います。
 道場生、保護者の皆様、よろしくお願いいたします。
 なお明日 (2/11) の土曜日の美馬、鴨島、阿南の各道場は祝日のためお休みです。
 また来週の月曜日 (2/13) の阿南道場はお休みとなっておりますので、関係者の皆様、よろしくお願い致します。
 2.17.2023 記

正拳突き、前蹴りの要点のススメ、人に良い変化をもたらす心の有り様

 〝人は変わるものであるが、人は自分が変わることに気づかないか、気づいても容易に認めない〟と言ったことを、以前読んだ本に書いてあったように思います。
 先日のブログで書いたような、私の老眼の進行などの身体の変化などは、気づきやすく、認めざるを得ないものと思います。
 また身体の変化は、人からの指摘を受けやすいために気づきやすいものと思います。

 先日、20 年近く通っている散髪屋さんに「最近、白髪が増えましたね。」「白髪は固い髪質なので髪質が変わってきましたね。」と言われました。

 私は従来、服装、そして髪型にも無頓着ですが、整髪料などは大学を卒業して社会人になるまで付けたこともありませんでした。
 行きつけの散髪屋さんには長い間「いつも通り短く」とだけ伝えて、後はお任せで散髪してもらっていました。
 私の髪質は柔らかいそうで、近年は薄毛が進行し、柔らかい髪質では薄毛が目立つので、髪を従来よりも伸ばして毛量をごまかし薄毛を目立たなくさせようと、多少の注文を散髪の折に行きつけの散髪屋さんに伝えていました。
 固い髪質は薄毛の印象を紛らわすようで、上記の散髪屋さんの言葉も私の髪への心配を配慮したものと思いますが、白髪が増えて髪質が変わったことで薄毛が誤魔化せるのは嬉しく思います。

 私の髪のように身体の変化は人からの指摘で気づきやすく、そして内容によっては素直に受け入れやすいものと思います。
 しかし自分の内面的、心の有り様の変化などは自分では気づきにくく、また人から指摘を受けても内容によっては反発し、容易に認めないことなのかもしれません。
 〝人が変わる〟という尺度の一つは、ある人の過去の時点の内面・外面と、今の時点の内面・外面を比べて良くなっているか、悪くなっているかにあると思います。
 内面的に良くなっていれば、人から指摘を受けても受け止めやすいものと思いますが、「悪くなってる」と人に指摘された場合、その指摘を素直に受け止める人はなかなかいない思います。

 人の内面的な急激な変化は稀なもので、日頃の心の有り様の積み重ねが時間をかけて人の内面を変化させるものと思います。
 日々の心の有り様が良いものであれば、その積み重ねによる内面的な変化も良くなるものと思います。
 心の有り様を良くして日々を過ごすことが、人の変化を良い方向に導くものと思いますが、心の有り様の良さがどういった心であるか、それを認識するのは難しいように思います。

 空手の稽古は、毎回の稽古で同じ内容を繰り返すことが多いものです。
 毎回の同じ稽古では惰性が生じてきますが、惰性な心で稽古をすれば、稽古の要点が疎かになり上達に至りません。
 毎回の同じ稽古が、惰性とならないようにすることが空手の稽古では大切です。

 例えば、大抵の流派の空手で、毎回の稽古で必ず行うと思われる正拳中段突き。
 正拳中段突きでは脇の締めが大切ですが、脇の締めは、突く前に手の甲が下にあったのを上に向ける手首の返しを、脇が開かないように返す注意深さが肝心となります。
 1 本、1 本の正拳突きで注意を怠り、惰性になると手首の返しが散漫になり脇が開きます。

 また前蹴りでは、蹴った足を接地させる引き足で音をさせないことが大切ですが、これも惰性になるとバタバタと音がして蹴った後の動作に影響を及ぼす引き足の要点が身に付きません。
 空手の稽古における注意散漫な惰性は、空手において最も禁忌とすべきものの一つですが、惰性を回避するには教えられた稽古の要点を毎回の稽古で注意深く行う持続性のある素直さが必要と思います。

 持続性のある素直さ、すなわち日々の素直さが稽古の惰性を解消させるものと思いますが、空手の稽古における日々の素直さは、人の内面を良い方向へと変化させる、良い心の有り様の一つに思います。
 毎回の空手の稽古を素直に頑張っていれば、変わりゆく宿命にある人の内面そして外面を含めた、人としてのそのものは、良い方向へと変わっていくものと思います。
 私の髪の毛はどのように日々の心の有り様を良くしても、ごまかしは効いても若い頃のように毛量が豊かにはならないものですが、内面そして毛量の減少を補う外面も含めた私自身そのものとしては、良い方向へと自身の空手の稽古で変わっていきたいと思います。
 また新極真会徳島西南支部の道場生にも、内面的・外面的な人としての変化を良い方向へ導く心の有り様の一つが、惰性に陥りがちとなる毎回の稽古を素直に行うことにあることを学んで欲しいと思います。
 2.8.2023 記

新極真会徳島西南支部は随時入会者を募集しています。
興味のある方はお近くの道場に、お気軽に見学・体験にお越しください。
お問い合わせはホームページより、「逢坂(おおさか)道場」でご検索ください。
<徳島市の道場>
徳島市加茂道場
稽古日…火曜日
稽古場所<加茂名コミュティセンター>
徳島市庄町5丁目48番地の5
少年部クラス…18時30分~19時30分
一般部クラス…19時45分~20時45分
稽古日…金曜日 
稽古場所<加茂コミュニティーセンター>
徳島市北田宮町4丁目6番60号
少年部クラス…18時30分~19時30分
一般部クラス…19時45分~21時15分
<吉野川市鴨島町の道場>
鴨島道場
徳島県吉野川市鴨島町鴨島234<常設道場>
稽古日…水曜日
少年部フィジカルクラス…18 時 20 分~18 時 50 分
少年部クラス 19 時~20 時
一般部クラス…20 時 15 分~21 時 30 分
稽古日…土曜日
少年部アドバンスクラス…15 時 45 分~17 時 15 分
選手クラス ( 小 5 以上 )…17 時 30 分~19 時
一般部クラス…19 時 15 分~20 時 45 分
<美馬市美馬町の道場>
★美馬道場
徳島県美馬市美馬町字大泉51-1
<常設道場・旧重清東小学校>
稽古日…木曜日
少年部クラス…19 時~20 時
一般部クラス…20 時 15 分~21 時 30 分
稽古日…土曜日
合同アドバンスクラス…10 時~11 時 15 分
<阿南市の道場>
★阿南道場
稽古日…月曜日
稽古場所 < 黒津地コニュニティーセンター >
阿南市黒津地町新弥開16-1
合同 1 部クラス…18 時~19 時 15 分
合同 2 部クラス…19 時 30 分~20 時 45 分
アドバンスクラス…21 時~21 時 30 分
稽古日…土曜日
稽古場所 < 阿南市武道館 >
徳島県阿南市大潟町210-56
合同クラス 1 部…18 時~19 時
合同クラス 2 部 ( 選手稽古 )…19 時 15 分~20 時
<三好郡東みよし町の道場>
三加茂道場
三好郡東みよし町加茂西庄  
<三加茂町農業者トレーニングセンター>
稽古日…水曜日・金曜日
合同クラス…19 時 30 分~20 時 30 分
<三好市池田町の道場>
★池田道場
三好市池田町三縄<三縄公民館>
土曜日
合同クラス…19 時 30~20 時 30 分
少年部クラスは小学生以下、一般部クラスは中学生以上、合同クラスは少年部、一般部が対象です。
希望者は小学生でも一般部クラスでの稽古は可能です。

リスクを肌感覚で感じる感性のススメ、その感性に必要なもの

 昨日 (2/5) の日曜日は、大阪府羽曳野市で南大阪支部錬成大会でした。
 新極真会徳島西南支部からはソラト君とアヤネちゃんが出場。

 結果はソラト君が優勝、アヤネちゃんが準優勝でした。
 私は前日の所用で大会に行けませんでしたが、二人ともよく頑張りました。
 昨日の結果を一つの過程として、また頑張っても欲しい思います。
 保護者の皆様もお疲れ様でした。
 また大会に参加させていただき、主催された内藤師範、南大阪支部のスタッフの皆様、ありがとうございました。

 さて先々週の居残りスパーリング、ボディーストレート、空手で言う中段逆突きに閃くものがあり「練り上げよう」と繰り返していたら、下の動画ように飛び後ろ蹴りをカウンターで合わせられました。


www.youtube.com

 対戦相手の道場生が飛んだ瞬間に飛び後ろ蹴りを感知し、その軌道も予測し、そのまま逆突きで背中を押しつつ、頭を下げ、私は危機一髪で躱したつもりでした。
 しかし、こういった飛び技が上手な道場生なので、彼も軽く当てるつもりでも、触る程度でダメージを与えないようにインパクトは抜いていたと思います。
 ダメージを与えるインパクトで持って、本気で当てるつもりで蹴っていたならば、後ろ蹴りのモーションはもっと速く、逆突きで空中での態勢を崩したり、頭を下げてのヘッドスリップなどのディフェンスも効かなかったかも知れません。

 結果的に被弾には至らなかった動画の攻防ですが、カウンターのタイミングは完璧であり、技を合わせられた時点で、この展開では私は敗勢であったと思います。
 彼も小学生低学年からの道場生で現在、高校生ですが、小さい頃からの道場生に敗勢に追い込まれることには感慨を覚えます。

 その感慨は、最近よくブログで書いているところの情緒でもありますが、長い間指導してきた道場生に敗勢に追い込まれる指導者の情緒は、空手独特の情緒であり、指導者としては悪くないものです。

 しかし、指導者の立場から転じ、いち空手修行者の立場から、この敗勢を振り返れば「悪くないもの…」などと、感慨を覚えている場合ではありません。
 この後ろ蹴りと言う技、蹴り技の中で最も威力があるものとされています。
 もし、この動画のようなカウンターの後ろ蹴りを相手がダメージを与えるように蹴って、それをまともに被弾していたならば…。

 恐らくは、歯が折れたり、鼻が潰れて折れたり、顎の骨が粉砕されたりしていることでしょう。
 想像してみると、空恐ろしくなります。
 しかし、空恐ろしさのみに囚われていれば、中段逆突きなどは今後スパーリングで使用しようと思いません。
 中段逆突きは、飛び後ろ蹴りを合わせられるようなリスクはあるものの有効な技です。
 〝虎穴に入らずんば虎子を得ず〟ではありませんが、中段逆突きのリスクを念頭に入れ、中段逆突きを練り上げようと思います。

 空手の技は相手に対する有効性の反面として、リスクも抱えるものです。
 そのリスクを踏まえて技を練り上げることが、技を高めることになると思います。
 昔、小学校低学年でしたが、上段回し蹴りをまともに被弾し、かなりの衝撃でしたが「ヘッドギアを付とるから、痛くないんじゃ」と強がりを対戦相手にうそぶく道場生がいました。

 低学年だから仕方のない面もありますが、「ヘッドギアを付てなくて被弾した場合のことなど、想像できないんだろうな」と、強がりが私の耳にも聞こえてきましたが一笑に付しました。
 しかし、その道場生には「リスクを肌感覚で感じる感性を身に付けさねばならない」と同時に思いました。

 上記のような「後ろ蹴りを顔面にまともにもらったら」などのようにリスクを肌感覚で感じる感性は、優れた技を身につけるための資質でもあります。
 リスクを肌感覚で感じる感性にとって、その感性の形成を一番阻害するものは、強がりなどの素直さの対極にあるものです。
 逆にリスクを肌感覚で感じるなどの感性に一番必要なものは素直さですが、素直さは空手での感性のみならずも、空手の上達要素の全てに必要な資質となります。

 素直さを引き出すことが、少年部道場生への私の昔からの指導指針でした。

 動画の道場生も小さい時から素直でしたが、多くの少年部道場生の素直さを引き出し、素直さでもって空手を上達させ優れた技を身に付けてもらい、そして大きくなったらスパーリングで私を敗勢に追い込んで欲しいと思います。
 敗勢に追い込まれたその時の私は、感慨深げに「強くなったなあ」と指導者の上から目線の言葉を口にしていると思いますが、内心は悔しさと焦りをひた隠しにしているかも知れません…。
 2.6.2023

新極真会徳島西南支部は随時入会者を募集しています。
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徳島市加茂道場
稽古日…火曜日
稽古場所<加茂名コミュティセンター>
徳島市庄町5丁目48番地の5
少年部クラス…18時30分~19時30分
一般部クラス…19時45分~20時45分
稽古日…金曜日 
稽古場所<加茂コミュニティーセンター>
徳島市北田宮町4丁目6番60号
少年部クラス…18時30分~19時30分
一般部クラス…19時45分~21時15分
<吉野川市鴨島町の道場>
鴨島道場
徳島県吉野川市鴨島町鴨島234<常設道場>
稽古日…水曜日
少年部フィジカルクラス…18 時 20 分~18 時 50 分
少年部クラス 19 時~20 時
一般部クラス…20 時 15 分~21 時 30 分
稽古日…土曜日
少年部アドバンスクラス…15 時 45 分~17 時 15 分
選手クラス ( 小 5 以上 )…17 時 30 分~19 時
一般部クラス…19 時 15 分~20 時 45 分
<美馬市美馬町の道場>
★美馬道場
徳島県美馬市美馬町字大泉51-1
<常設道場・旧重清東小学校>
稽古日…木曜日
少年部クラス…19 時~20 時
一般部クラス…20 時 15 分~21 時 30 分
稽古日…土曜日
合同アドバンスクラス…10 時~11 時 15 分
<阿南市の道場>
★阿南道場
稽古日…月曜日
稽古場所 < 黒津地コニュニティーセンター >
阿南市黒津地町新弥開16-1
合同 1 部クラス…18 時~19 時 15 分
合同 2 部クラス…19 時 30 分~20 時 45 分
アドバンスクラス…21 時~21 時 30 分
稽古日…土曜日
稽古場所 < 阿南市武道館 >
徳島県阿南市大潟町210-56
合同クラス 1 部…18 時~19 時
合同クラス 2 部 ( 選手稽古 )…19 時 15 分~20 時
<三好郡東みよし町の道場>
三加茂道場
三好郡東みよし町加茂西庄  
<三加茂町農業者トレーニングセンター>
稽古日…水曜日・金曜日
合同クラス…19 時 30 分~20 時 30 分
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★池田道場
三好市池田町三縄<三縄公民館>
土曜日
合同クラス…19 時 30~20 時 30 分
少年部クラスは小学生以下、一般部クラスは中学生以上、合同クラスは少年部、一般部が対象です。
希望者は小学生でも一般部クラスでの稽古は可能です。