「空手に礼がなければ、ただの暴力ですから」
以前のブログにも書きましたが、今だに耳に残る、ある高名な空手家の20数年前のテレビ解説での何気ない言葉です。
この言葉は少年部道場生のスパーリングを見ていると、よく思い起こされます。
暴力とは悪意による力です。
無論、子ども達が組手、スパーリングで感じる突き蹴りによる痛みを伴う力は暴力ではありません。
徳島市加茂道場少年部12.15.2020 ※この動画は音声が出ます
それは礼によってコントロールされているからですが、組手、スパーリングと暴力とは礼の有る無しで全く別物ですが、痛みを伴う力としては物理的に同質なものです。
大抵の子供達が日常生活で暴力に晒されることほとんどないと思いますが、悲しいニュースが示すように暴力は確かに存在します。
子ども達には組手、スパーリングで感じる痛みで暴力の存在を悟り、力をコントロールする能力を身に付けて欲しいと思います。
ネットによって人の悪意が行き交う昨今、その悪意がネットから溢れる可能性が高まっていく危惧から個人的に強く思います。
礼によって力をコントロールする空手、そういった空手には痛みを伴う組手、スパーリングは不可欠と思います。
自分が痛みを知ることによって、人の痛みを知る。
〝己の欲せざる所は、人に施す勿れ〟と説く、礼の根本に通じることだと思います。
昨日の徳島市加茂道場
少年部クラス(18 時30 分~19 時30 分)
徳島市加茂道場少年部12.15.2020 ※この動画は音声が出ます
一般部クラス(19 時45 分~20 時45 分)
徳島市加茂道場一般部12.15.2020 ※この動画は音声が出ます
12.15.2020 記