道場生のスパーリングを見ていると、やはり各々の良し悪しが見えてきます。
その良し悪しを稽古への姿勢も含めて、スパーリングの前に行う稽古に照らし合わせてみると、
「稽古でこういった点をしっかりやっているからスパーリングの良さになっている」
または「稽古のここが疎かだからスパーリングが上手くいかない」などと、
スパーリングの良し悪しの原因が、稽古全体で見えてきます。
その原因を指摘して指導はしていますが、本当に目指すべきは道場生自身に自分で気づかせることだと私は思います。
良し悪しの指摘としての指導は、単に自分自身での気づきへのアプローチに過ぎないように思います。
自分の良し悪しを自分自身での気づくようになるには、自分自身を客観視することが大切です。
〝客観〟という言葉の意味を改めて調べると「主観の認識、行為の対象となるもの」とあります。
意味合い的にちょっと難しいと思いますが、要するに主観=自分で思っている自分の姿、存在とすれば、客観は現実の自分の姿、存在と解釈できると思います。
空手から離れ、私がこれまで遭遇した自分を客観視できない人は、現実の自分に気づきつつも、それを素直に受け入れず虚飾で自分と周囲をごまかし、周囲とトラブルを起こす人が多かったように思います。
そう思うと、道場生を自分を自分自身で客観視できるように指導することは、とても大切なことと思います。
私が自分のスパーリング映像をよく撮るのは自分を客観視するためですが、スパーリングでの客観視は映像を見なくても実感で本来できるものです。
私が映像を見るのは実感での客観視をさらに深めるためですが、道場生にもスパーリングで自分を客観視し、そこで自分の良し悪しを見極め、稽古全般に反映できるようになって欲しいと思います。
昨日の徳島市加茂道場
少年部クラス(18 時30 分~19 時30 分)
一般部クラス(19 時45 分~21 時)
9.8.2021 記