空手のススメ、徳島の田舎道場から

written by 逢坂祐一郎(新極真会 第8回世界大会 2位)

〝名前を知られる〟真っ当な自己顕示欲や承認要求

 先日、面識のない方より声を掛けられました。

 空手で私のことを知っているとのことで、しばし、選手現役当時のことなどでお話しました。

 面識のない方に、名前を知っていただけていると嬉しく思うものです。

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 現役当時も時折こういったことがありましたが、その都度嬉しく思い、その嬉しさが空手へのモチベーションになったものです。

 私は強くなるために空手を始めましたが、名前を知っていただけることがモチベーションになったことを思えば、強くなることの実感の一つに名前を知られることを感じ、その喜びは今思えば自己顕示欲や承認要求であったように思います。

 

 自己顕示欲や承認要求は、あまり良い響きのある言葉ではありません。

 特に承認要求は「今の若者は承認要求が強すぎる」と、否定的に言われることがあります。

 

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 しかし自分自身の若かった現役当時を振り返るに、自分の自己顕示欲や承認要求を恥じる気持ちはありません。

 それは自己顕示欲や承認要求を満たす〝名前を知られる〟という行為を私は、分不相応な大口を叩いたり、他人をこき下ろして注目を集めたりする行為で行っていないからです。

 私は自分の試合の結果を自然に知られることで、自己顕示欲や承認要求を満たしてきました。

 自己顕示欲や承認要求が一般的に悪いイメージをもたれるのは、その手段を大言壮語や他者の誹謗中傷で行う輩が多いためだと思います。

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 真っ当な方法で名前を知られると、私のように知られれることが多少な場合でも「自分の名前を汚さないように」と思うものです。

 時折、有名人が自分の名前を汚すようなことをしますが、それは名前が知られる手段が真っ当でなかったからではないかと個人的に思います。

 

 自分の名前に誇りを持つために、私は若い人は自分の自己顕示欲や承認要求を真っ当な方法で高めて欲しいと思います。

 思春期はアイデンティティー( 自分が自分であること、さらにはそうした自分が、他者や社会から認められているという感覚) が芽生えるものです。

 思春期以降の道場生には空手で、真っ当に、自分の名前を知ってもらえるように試合に挑戦して欲しいと思います。

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 さて明日(9/12) は、小松島市で神武會舘さんが主催するリアルチャンピオンシップです。

 出場する道場生の皆さんは頑張りましょう!!

 また道場生、付き添いの保護者様には、新型コロナ関連での大会要項には、精読の上、順守をお願い致します。

  9.11.2021 記