先日、全く面識のない方の SNS の投稿ですが、以下のような内容を拝見しました。
子どもが戦いごっこが好きで空手を習わすことを思い立ち、子どもに空手を習わないか聞いたところ「空手を習って強くなる」と大変興味を示したため見学にいったところ、いざ見学してみると子どもは全く興味を示さない。
見学後、空手を習うかどうが本人に聞いたところ「練習がつまらないから、やらない」とのこと。
子どもが大好きなアニメ「鬼滅の刃」の主人公も厳しい修行で強くなったことを引き合いに出し、空手を習うことを勧めたところ、駄々をこねるように拒否し、最後は「親が勝手に見学に連れて行ったんだろう」と言う始末。
そこまで言われて無理に習わすことはない、と説得をあきらめ空手を断念。
子どもの気まぐれには困ったものだと、ユーモラスな感じで投稿されていました。
子どもは確かに気まぐれであり、成長とともに気まぐれなところは改まってくるものと思います。
しかし私がこの投稿を拝見し、一つ危惧を感じたのは〝強くなるためには努力が必要であること〟を理解しない、またはそれを切に教えてあげないことにあります。
私が子どもの頃にも主人公が苦労して強くなっていく漫画やアニメはあり、私の記憶を辿れば、そういった漫画やアニメに感化され〝強くなるためには努力が必要であること〟を自然と理解していったように思います。
危惧がさらに広がるのは、強くなりたい意思があるのに努力をしないことですが、その矛盾する思考の行く末には、親としては注意が必要のように思います。
強さ=努力は絶対の真理であることは、本人が気づくか、周囲が教えてあげねばならない必須なことだと思います。
弱い者いじめをする輩は、自分より弱い人をいじめ、自分より強い人には媚びへつらいます。
弱いものいじめの本質の一つは、人の弱さを自分の強さに勘違いすることだと思います。
弱いものいじめをする輩は自分の強さへの欲求は強いですが、粗末な思慮のもと自分の強さを安易に実感したいがために、弱い人をいじめるのだと思います。
強くなりたいのに努力をしない思考は、粗末な思慮になっていく危惧を私は大いに感じます。
強さ=努力、この絶対の真理を私の道場では指導して行きたいと思います。
昨日の徳島市加茂道場
少年部クラス (18 時 30 分~19 時 30 分 )
一般部クラス (19 時 45 分~21 時 )
10.13.2021 記