空手のススメ、徳島の田舎道場から

written by 逢坂祐一郎(新極真会 第8回世界大会 2位)

< 感慨→情緒→情操 > のススメ、人生を豊かにする図式

 昨日の祝日 (2/23 ㈭ ) は通常稽古はお休みでしたが、支部内強化稽古を行いました。
 今回は久しぶりに型の強化稽古も復活。

 型試合も近年の各大会でレベルアップし、入賞が難しくなってきました。
 型競技は我々の空手でも世界大会が本年の第 13 回大会より行われるようになり、競技ステイタスが高まるものと思います。

 型競技に挑戦する道場生には、意識を高めて取り組んで欲しいと思います。
 昨日の支部内強化稽古、参加した道場生の皆んなお疲れ様でした。
 4 月、5 月は試合が目白押しです。
 頑張りましょう !!
 保護者の皆様もお疲れ様でした。

 さて最近、空手における情緒と情操をブログでよく書いています。
 今回も情緒と情操の内容になりますが、よろしければご一読ください。
 先週のバレンタインデー、道場生からチョコレートに添えて手紙をもらったことをブログに書きましたが、手紙は 2 通もらいました。

 手紙をくれた道場生は二人とも小学校低学年ですが、1 通の内容は先日のブログで書いたとおり道場生の情緒と情操を感じさせるものですが、もう 1 通も同様に情緒と情操を感じるものでした。
 もう 1 通の手紙には「いつも、とおいところから、おしえにきてくださって、ありがとうございます。」と書かれていました。
 彼女は自分の自宅近くの鴨島道場の道場生ですが、鴨島道場から私が住む美馬町まで車で昼間ならば 1 時間くらいかかります。
 以前、彼女が私の住む美馬町の美馬道場に稽古に来た時、道のりの遠さを感じてこのような文を書いたのだと思いますが、「とおいところから」の一文は私に対する感謝の気持ちに厚みをもたせるものであり、小さい女の子が感謝の厚みを踏まえた一文をしたためるのに「よくこんなことを思うなあ」と感心しました。

 大したことなどしておらず、私には分不相応の彼女の厚い感謝の気持ちですが、彼女の気持ちに私は彼女の情操を感じます。

 私は情緒は〝物事への感慨から派生する感情〟であり、情操は〝高い次元での感情〟と認識していますが、彼女の情緒である感謝の気持ちは、私が住むところへの「遠い」という感慨からも派生し、情緒の厚みになっていると思います。
 これまでのブログで情緒と情操について書いてきましたが、その内容を総括すると、情緒と情操には感慨から派生する < 感慨→情緒→情操 > の図式が成り立つように思います。

 その図式を空手を一例として表すと
 スパーリングで相手の突きを被弾し〝痛い〟と感じる=< 感慨 >
 ↓
 相手の突きの強さ感じ、その強さを身に付けた〝相手の努力〟を感じる=< 情緒 >
 ↓
 相手の努力に感化され〝自分も強くなるために努力をせねば〟と感じる=< 情操 >
 といった感じです。
 この < 感慨→情緒→情操 > の図式は、上記の例を取れば向上心となる、自分の人生を豊かにする図式でもあると私は思います。

 この図式は空手以外にもあらゆる分野で成り立つもので、例えば美しい音楽を聞いて感じる感慨から心を震わし、その感動を人生の希望とするような、絵画、映画なども含む芸術においても成り立つ図式と思います。

 空手は稽古、試合、大会など色んなシーンでこの図式が成り立ちますが、この図式は感慨を単なる感慨とせず、感慨を自分に反映させて情緒とすることに一番の要点があると思います。
 武道、スポーツ、芸術など社会には色んな感慨を与える分野があります。
 それらから受けた感慨を自分に反映させず情緒とせずに、感慨のみにとどめて感慨のみを、または感慨を情緒としてもその情緒は歪み、いわゆる情緒不安定なままに SNS等で発信する人がいます。
 SNS でそういった発信を目にする機会が多くなった昨今、感慨のみ、情緒不安定な発信者には私はミーハー気質を感じます。
 ミーハー気質な発信には、自分のことは棚に上げたような傲慢さ、感慨を受けたものへの思慮や配慮の欠如を私は感じます。
 ミーハー気質は一概に悪いものでなく、それが良いのか、悪いのかを断じるほどの識見は私にはありませんが、少なくともミーハー気質では人生は豊かにならないように私は思います。

 < 感慨→情緒→情操 > の図式の要点、感慨から情緒への転化には感慨を自分に反映させるための、上記の空手の例でいうならば相手の突きの痛みに相手の努力を感じるような〝謙虚さ〟が必要ですが、人生の豊かさには謙虚さが一番必要に私は思います。
 空手は芸術同様の < 感慨→情緒→情操 > の図式を持つ、人生を豊かにする手段と思いますが、芸術にはない特異性を持ちます。

 それは芸術が主に見たり、聞いたりの知覚から感慨を覚えるのに対し、空手は知覚にプラスして痛みなどの体感から感慨を覚えることです。
 この特異性は、芸術などとはまた違う趣きの人生の豊かさをもたらすものと思いますが、前述の道場生の手紙には「黒おびになるまで、がんばるので、ずっと先生でいてください。」とも書かれていました。
 この「ずっと先生でいてください。」との一文は、私の情緒と情操を高めるものです。
 情緒として、いじらしさを感じる彼女の気持ちに応じるために、情操として〝ずっと空手の先生でいなけれけば〟と思う自身の使命を感じます。
 使命を果たすために、自分の稽古を重ねていかねばとも思いますが、これもまた情操です。

 手紙をくれた道場生の情緒と情操に、私の情緒と情操も響く。
 人と人の情操と情緒が響き合う、これこそは知覚だけでなく体感からも感慨を得る空手独特の < 感慨→情緒→情操 > の図式かと思います。
 2.24.2023 記