先週の土曜日 (5/27) は、後藤田正純・徳島県知事との懇親会に参加させていただきました。
この懇親会にはアームレスリングの世界チャンピオン、新極真会徳島北東あわじ支部さんが鳴門道場でスペースをお借りしている超腕ジムの会長、服部剛史さんにお声かけいただき参加させていただきました。
とても有意義な懇親会でしたが、後藤田知事、服部さん、懇親会に参加させていただき誠にありがとうございました。
一昨日の日曜日 (5/28) は、ダイハツ小松島店さんのイベントでの演武会でした。
今回は初の試みとなる、トランペットの生演奏をバックミュージックに演武を行いました。
トランペットは道場生のカイト君が担当。
リハーサルから大幅に時間が経過し、色々と不安材料のあった本番であり、試し割りにも苦戦する一幕がありましたが、皆んな、頑張ってくれました。
演武は試合や審査会とは違った、空手を学ぶ上での有意義な経験が得られる機会です。
今後も機会があれば、積極的に参加していこうと思います。
今回、参加してくれた皆んな、お疲れ様でした。
皆んな、格好良かったです。
保護者の皆様も、付き添いお疲れ様でした。
さて演武では、〝格好良く〟演武するのが最大要点となります。
「格好」の意味を改めて調べてみると、外見、姿、体裁、世間体、見栄えなどの意味が見当たります。
格好は人の他人への印象に大きな影響を与えるもので、人は何かに付け〝格好良く〟あることが望ましいものです。
格好良くあるには、色んな手段があると思いますが、服装などをお洒落に着飾ることなどは、その手段の一つに思います。
以前のブログで「着こなしよりも、身のこなし」といったことで、お洒落に格好良くあるよりも、体の動かし方、身のこなしで格好の良くあることを書きました。
私のお洒落へのセンス、スタイルの無さの開き直りのようなブログでしたが、道場生にも、着飾って格好良く自分を見せることも良いと思いますが、空手を学ぶ以上は体の動かし方、身のこなしで格好の良くあって欲しいと思います。
身のこなしの格好の良さは、体の動かし方の格好の良さから生じるものです。
体の動かし方の格好良さは、身体の鍛錬から生じるものですが、空手の場合、身のこなしの格好良さは、そのまま空手の技量を示すものです。
また、身のこなしの格好良さは、当人の心ばえに反映するものに思います。
武道を標榜する空手において、身のこなしの格好の良さを身につけた人の心には、武道精神が宿るものと思います。
ブログでよく書くように、私は武道とは武士道と思っています。
武道精神とは、武士道精神に思います。
武士道は忠誠・名誉・尚武などへの美意識であり、簡単に言えば〝嘘つかない〟〝正しくある〟〝勇気を持つ〟といったことです。
先般から私の住む市での、選挙違反事件が新聞紙上を賑わせています。
容疑者は現職の市議会議員でしたが、選挙違反など議員にとっては一番あってはならない犯罪だと思います。
この事件のみならず職分上、一番あってはならない犯罪を犯す事件は後を絶ちません。
そういった犯罪の背景には、事件を起こすものの本来持つべき、職分上の美意識の欠如を私は感じます。
職分をしっかりと、そして真摯にわきまえれば、そこから職分への本来持つべき美意識は生まれると思います。
職分への美意識は仕事の質を高めるものですが、何よりも職分を全うすることへの最大の原動力になるものと思います。
職分への美意識の欠如による犯罪が多発していることには、社会問題と捉えるべきのように個人的には思います。
どのような職種にあっても、その職分への美意識は持つべきに思います。
社会を構成する人々の職分への美意識が満たされた社会は、社会の豊かさの一因になると思います。
美意識は訓練で高まるものですが、武道としての空手の修練は、色んな職分、様々な美意識の根元を養う最高手段の一つに思います。
武道の空手の修練といっても、ただ稽古していては美意識は身につきません。
稽古において美意識の元となる、体の動かした方の良さ、身のこなしの良さ、総じて格好の良さを身につけてこそ美意識は芽生えるものに思います。
組手で、自分よりも実力の劣る相手に、相手を傷め付けずに上手に組手をすることなどは、私は空手における最高に格好の良い身のこなしと思います。
また試合、演武会などの緊張の伴う場であって格好良く振舞うことは、美意識を高みへと引き上げる修練になると思います。
道場生には、空手において何が格好良いことなのかを指導していきたいと思います。
また私自身においては、着こなしの格好の良さは絶望的なので、身のこなしの格好の良さを開き直って求めていきたいと思います。
5.30.2023 記