空手のススメ、徳島の田舎道場から

written by 逢坂祐一郎(新極真会 第8回世界大会 2位)

認知能力を高めることのススメ、至高の認知能力

 先日のブログで書きましたが「道場の趣旨に教育の概念を加えて、子ども達が主体となっている現在の空手道場に求められるニーズに幅広く応えよう」と思い、そのための勉強のために下の画像の本を読んでいます。

 少年非行を扱った本ですが、同書には「少年非行の発生は、教育の敗北」といったことが書かれています。
 少年非行が教育の敗北であるならば、少年非行をよく知ることで逆に敗北を回避するための「教育の根幹、教育に何が必要なのか」が見えてくるように思い、同書を手に取りましたが、読み進めるに従い学ぶことが多く、とても勉強になっています。

 同書においては、凶悪な犯罪を起こした非行少年には「こんな子が…」と思われる、一見大人しい子どもが多く見られるそうですが、凶悪な犯罪を起こした子ども達には、軽度の知的障害か境界知能 ( 軽度知的障害とのボーダーライン ) に相当する子ども達も多く見られるそうです。
 また凶悪犯罪を起こした非行少年には、軽度知的障害か境界知能に相当するにも関わらず、障害をカパーするための十分な支援が受けられず、そのために生きづらさを抱えて社会生活を送り、生きづらさへの反動で犯罪に走るケースが多く見られるそうです。
 支援が必要な子ども達を見極めて十分な支援を施すことが、教育の務めであり、凶悪な少年犯罪の抑止力になるそうですが、現実的には十分な支援を行うことは難しいそうです。
 十分な支援が難しい理由には、障害のための支援の要・不要の見極めが難しいことが一因としてあるそうです。

 障害のための支援の要・不要の見極めには、一般的には IQ( 知能指数 ) の計測が用いられます。

 IQ の計測によって支援の要・不要を決める訳ですが、IQ の計測には様々な方法があり、方法によっては同一人物の子どもでも支援が必要とされたり、不要とされたりする場合があるそうです。

 また時代によっては、軽度知的障害、境界知能の基準が違っていたそうです。
 野球、サッカーなど、あらゆるスポーツの歴史上、一番偉大な選手はアメリカのプロボクサーの〝モハメド・アリ〟とされています。
 モハメド・アリベトナム戦争での徴兵を拒否し、そのため世界チャンピオンの称号を奪われ、長い間、試合も出来なくなりました。

 徴兵拒否は国との法廷闘争に発展しましたが、最終的には無罪を勝ち取り、ボクシングの世界に復帰を果たしました。
 国によってタイトルを奪われ、試合も出来なかった長い期間に選手としてのピークは過ぎた、と言われつつも、モハメド・アリは世界チャンピオンに返り咲きましたが、その業績が讃えられモハメド・アリは、最も偉大なスポーツ選手と呼ばれるようになりました。

 モハメド・アリベトナム戦争への徴兵拒否が発端となり、最も偉大なスポーツ選手となりましたが、実はモハメド・アリは徴兵検査を 2 度受け、1 度目は不合格となり徴兵も免れています。
 不合格の理由は、IQ 検査をパス出来なかったためです。
 2 度目の検査で IQ 検査をパスし徴兵されましたが、バスした理由はモハメド・アリの 2 度目の IQ 検査値が基準値に達した訳でなく、ベトナム戦争の泥沼化で徴兵が拡大され、兵役の IQ 基準が引き下げられたためです。

 1 度目の不合格は、わざと IQ 検査でバスできなくなるようにした、とも言われていますが、ホグシングの興行で選手がよく行うトラッシュトーク ( スポーツの試合前の記者会見や試合中に汚い言葉や挑発で相手選手の心理面を揺さぶる、また相手の気を逸らすような会話で混乱させ、調子を乱させる作戦のことを指す。) での、モハメド・アリの言動は単なるトラッシュトークの域を超える常軌を逸したものがあり、異常性を感じさせるものがあります。

 トラッシュトークからモハメド・アリには、あながち精神上の問題があったことも否めないように思ったりしますが、ベトナム戦争への兵役拒否において、モハメド・アリアメリカの闇の一つとも言える黒人差別も絡まって、常人には想像を絶する苦難に晒されました。
 想像を絶する苦難に晒されながらも、それを乗り越えたモハメド・アリの業績は、人として尊敬に値するものであり、またトラッシュトークでの行き過ぎた言動を後で後悔する一面がモハメド・アリにはあり、その後悔は彼の人間性を表すものです。

 IQ は人の基準を示す計測値ですが、モハメド・アリの業績、人間性から思うに、IQ が人の全てを示すものでは無いように思います。

 しかし、多くの凶悪な少年非行を起こす子ども達の IQ に問題があるのは事実であることから、IQ と人の言動や人間性とは、相対的には関係するものの、絶対的な関係ではないように思います。
 IQ と人の言動や人間性の関係性が、相対的であり、絶対的ではないことは、IQ に問題があるものだけでなく、IQ に問題はない、または IQ が高いものもまた、犯罪を引き起こす事実からも感じます。

 それは最近の 2 件の事件や問題からも、伺えるように思います。
 先週の長野県で起きた事件では犯人は猟銃保持者であるそうですが、猟銃を持つには試験や講習を受ける必要があるそうです。
 猟銃を保持していることから、犯人は試験や講習をバスする常人なみの IQ は持ち合わせていたことになりますが、報道から伺えるその事件行動は常軌を逸しています。

 また今週起きた首相の息子である秘書官の更迭問題ですが、渦中の元秘書官のことは良く知りませんし、別段興味もありませんが、縁故であっても首相秘書官になるぐらいであれば、それなりの学力を備えた IQ は高い人物であるよう思います。

 更迭問題に関しては、不祥事が 2 度あったことが最大の問題であったと思いますが、若いゆえに 1 度目の不祥事は仕方ないようにも思ったりしますが、それから 2 度目を起こすことには IQ を疑いたくなります。
 人の基準を IQ に置くことは、IQ が人の全てを網羅するものでなく、政治的な都合で基準が変わることから、あやふやな一面もあると思います。
 しかし IQ が人の言動や人間性の関係性に絶対的ではなくとも、相対的であることから、IQ が高かろうが、低かろうが、私は全ての人が IQ の維持向上を常に心がけるべきに思います。

 IQ は知能指数であり、知能指数は認知能力です。
 前のブログでも書きましたが、認知能力はそれを高めるトレーニングがあります。
 認知能力とは、簡単に言えば「見たり、聞いたりすることを正確に理解する力」または「見たり、聞いたりすることで想像する力」です。
 それを高めるトレーニングとして私は空手、特に我々の空手は最適であるように思います。

 我々の空手が認知能力トレーニングとして最適、と思える最大の理由は「想像する力」を養うことにおいてです。
 我々の空手は、実際に技を当てますが、実際に技を当てる組手、スパーリングでは、相手の突きや蹴りを受けて痛みを知ります。
 そして自分が痛みを知ることで「他の人も突きや蹴りを受けたら痛いんだろうな」といった人の痛みも知る、思いやりの心を養います。

 他者への思いやりの心は、想像する力としての、至高の認知能力の一つと思います。
 思いやりの心などの、個人、個人の至高の認知能力が社会で機能すれば、凶悪事件やくだらない問題などは起こらない、平穏で、豊かな社会で実現できるように思います。
 認知能力は、簡単に言えば頭の良さです。
 頭の良さの一片は確かに IQ のように、紙上などで数値化できるものです。
 しかし、至高の認知能力といった本当の頭の良さは、思いやりの心などによって、人の言動に現れるものと思います。
 新極真会徳島西南支部では、子ども達の至高の認知能力を高める稽古を心がけたいと思います。
 6.2.2023 記