空手のススメ、徳島の田舎道場から

written by 逢坂祐一郎(新極真会 第8回世界大会 2位)

〝態度が大きい〟〝妙に馴れ馴れしい〟は自己の認識不足、自己に注意を向ける空手の稽古のススメ

 最近読んでいる本によると、少年院に送られてくる子ども達の中には、以下の特徴が見られる子どもが多いそうです。
 〝態度が大きい〟
 〝妙に馴れ馴れしい〟
 〝妙に素直、非行を他人事のように答える〟
 〝少年院送致に不服で被害者に逆ギレしている〟
 このような態度が見られる子ども達も少年院で過ごすうちに、だいたい 8 ヶ月を過ぎたころから態度の変化が見られることが多いそうですが、その変化は自分の犯した罪の重さや愚かしさを、客観的に分析できるようになることで起こるそうです。
 自分を客観的に分析できることによって、少年非行を起こした子ども達は「自分を変えよう」と思うそうですが、自分を変えようと思う子ども達には「自己への気づき」「自己評価の向上」といった内面的変化が見られるそうです。

 このところのブログでよく書いていることですが、最近読んでいる同書においては「少年非行の発生は、教育の敗北」といったことが書かれています。
 自身の指導する空手道場の趣旨に子ども達への教育的要素を深めるべく、教育の敗北である少年非行を知る事で逆に〝教育の根幹、教育にとって何が必要なのか〟が分かると思い、同書を読み進めていますが、同書にも「非行少年が変わろうと思うきっかけを知ることは、学校教育のヒントになる。」といったことが書かれています。

 変わろう思う非行少年の内面に「自己への気づき」「自己評価の向上」の変化が見られるのであれば、全ての子ども達において〝自己認識〟をしっかりと確立させることが、教育においては大切なことの一つに思います。
 子ども達の自己認識の確立には、〝自己に注意を向けさせる〟ことが有効な導き方であるそうですが、自己に注意を向けさせる方法としては、以下のような方法があるそうです。
 1. 他人から見らている事を意識する
 2. 自分の姿を鏡で見る事を意識する
 3. 自分の声を聞く事を意識する
 ちなみに、子ども達の自己に注意を向けさせることとは一見関係のないような事例ですが、飛び込み自殺が多かったある都市の地下鉄ホームに鏡を設置したところ、自殺者が減った事例があるそうです。

 自殺志願者は自己を喪失している一面があり、自分の姿を見ることで自己を取り戻し、自殺を思い止まるように思ったりしますが、自己認識に至る上記の 3 点は空手の稽古で行えるものです。

 1 の〝他人から見らている意識〟に関しては、空手では型の演武など、人前で自分を披露する稽古がありますが、そういった稽古は他人から見らている意識を培養するものです。
 2 の〝自分の姿を鏡で見る意識〟に関しては、空手の稽古では自分のイメージ通りの動きが実際に出来ているかを、鏡でチェックしたりします。
 自分の動きをチェックは、上達すれば鏡を用いずとも身体の感覚的なイメージで出来るようになるものですが、自分の姿、自分の動きへの意識を高めることは空手において重要な稽古になります。
 3 の〝自分の声を聞く〟に関しては、空手の稽古は気合の発声を行います。
 しっかりした気合の発声が出来れば、多数が参加する稽古での他人の気合の発声が入り混じった中でも、自分の声は意識出来るもので、多数の中で自分の声を意識できることは、自己への注意を一層高めるものに思います。

 空手の稽古における上記 3 点は、空手道場では普通に行われている事ですが、空手道場は子ども達に自己への注意を向ける場として、最適な場の一つであると思います。

 ところで、冒頭の非行少年の特徴である〝態度が大きい〟〝妙に馴れ馴れしい〟ですが、この特徴は非行少年に見られるものではありません。
 私が住む徳島県の美馬地域には、〝態度が大きい〟〝妙に馴れ馴れしい〟人がたくさんいます。
 私が住む美馬地域はいわゆる〝田舎〟ですが、私見ですが、田舎は〝態度が大きい〟〝妙に馴れ馴れしい〟人間が多いように思います。

 〝夜郎自大〟という言葉があります。

 意味は「自分の力量を知らずに、いばっている者」のことです。
 「夜郎」は中国漢の時代の西南の地にあった未開部族の国の名であり、漢帝国の大きさを知らない夜郎国の王は、自国に漢の使いが来たとき、自国のみが大国だと思い込んで、「わが国と漢とではどちらが大きいのか」と尋ねたという故事に由来があるそうです。
 この故事から、田舎に〝態度が大きい〟〝妙に馴れ馴れしい〟人間が多いことは歴史的必然であり、私の私見もあながち的を外れたものではないように思います。

 田舎では〝態度が大きい〟〝妙に馴れ馴れしい〟人が多いことでの弊害が状態化しているように思いますが、その弊害は「いわゆる井の中の蛙」的な人が多く、了見の狭い人間同士の反発が絶えずに、物事の進展がみられないことです。
 田舎では「あいつはダメだ」と野球選手や相撲の力士など、目立つ人物をくさすような会話をよく耳にしますが、そんな会話を聞くたびに私は「あなたは彼らのように野球や相撲が出来るのですか ?」と聴きたくなります。

 田舎は「遅れている」とよく言われますが、その原因は田舎の人間の了見の狭さによる物事の進展の無さにあり、田舎の「遅れ」の根本的悪因は、インフラなどよりも、人の心にあるように思います。
〝態度が大きい〟〝妙に馴れ馴れしい〟といったことは、非行少年に限らず全ての人が改め、また注意を払うべきことに思います。

 私はブログのタイトルにおいて「徳島の田舎道場から」と表記しています。
 私が住む美馬地域に限らず、徳島は県全体が田舎ですが、田舎の空手道場の指導者として〝態度が大きい〟〝妙に馴れ馴れしい〟といった田舎の悪風に染まらないように道場生を指導したいと思います。

 空手の稽古はそもそも上記に示すとおり、自己による注意から自己認識を確立させ〝態度が大きい〟〝妙に馴れ馴れしい〟とは真逆の〝真摯な心〟〝謙虚な心〟は育み、高めるものです。
 田舎の空手道場であっても、田舎の悪風に染まった空手道場とはならずに、空手本来の道場であることを目指したいと思います。

 < お知らせ >
 逢坂が明後日の日曜日 (6/11) に行われる東京都大会に出席のため、以下の道場の稽古は全クラスお休みになります。
 6/10 ㈯…美馬道場、鴨島道場
 6/12 ㈪…阿南道場
 関係者の皆様、よろしくお願い致します。

 また日曜日 (6/11) は高松市錬成大会が行われます。
 同大会には武田指導員が同行してくれますが、参加道場生の皆さんは武田指導員の指示に従ってください。
 参加道場生の皆さんの健闘を期待しております。
 6.9.2023 記