先日の県外出張の帰路、高速道路でひどい事故渋滞に遭いました。
5kmを進むのに1時間かかり、2時間弱くらい渋滞にはまっていましたが、前日は午前と夕方から都合、7時間弱の指導を行い渋滞に遭った当日は睡眠時間4時間で一日審判業務に従事していました。
果てしなく続くような車のテールランプの列に疲労が増幅され、気持ちがげんなりさせられましたが、ふとっ、渋滞の一角に目が止まりました。

それは路側帯でしたが、高速道路の路側帯は車が走行できるほど広いものです。
しかし路側帯は緊急時を除き、走行や駐停車が禁止されています。
私がはまった渋滞でも路側帯を走る車はありませんでしたが、その当たり前の光景に今更ながら日本人の規律の正しさを感じました。
【規律正しさ=礼】
私のように疲労でげんなりしている人は多かったと思いますが、誰一人として路側帯を走らない日本人の規律正しさ、地震などの大災害が起きると海外では略奪、暴動が起きるのが常と言われています。

それに対し日本も略奪などは少し起きるようですが、炊き出しにきちんと列を作り並び、その列が長蛇であっても列を乱しません。
そのような規律正しさに海外の人たちは驚くそうです。
高速道路の渋滞で路側帯を走行しない規律正しさは、災害時の炊き出しの列を守る規律正しさと同質のものですが、なぜ、日本人は規律正しいのでしょうか?
その答えの一つは、日本人が〝礼〟を重んじるからです。
【思いやりの心としての秩序】
礼の根本は〝秩序〟です。
秩序とは、AIに聞くと以下の概要が示されます。
〝社会や組織、物事が望ましい状態を保つための正しい順序、きまり、または調和のとれた状態〟
秩序とは人の心の美徳です。
美徳は形而上的に捉えられがちですが、秩序からは具体的な合理性が表出されます。

災害時の炊き出しで列を乱さないのは、困っている人が等しく食事を得られるようにするためです。
また、高速道路の渋滞時でも路側帯を走行できるようにあけておくのは、救急車などの緊急車両が通れるようにするためです。
実際、私が先日遭遇した渋滞でも緊急車両が通って行きましたが、こういった規律の根底にはある共通の人の心があります。
それは困っている人とのことをおもんばかる〝思いやりの心〟です。
【秩序の合理性】
私は日本人が礼を重んじる一旦は規律がもたらす合理性にあり、その合理性が思いやりの心であるがためと推察します。
武道は礼を重んじるものであり、空手も武道として礼を重んじます。
空手指導者は一面、礼の指導者でなければなりませんが、教える礼に合理性が伴われなければならないと思います。

武道の世界では礼が歪み、人間関係が破綻するケースが時折生じますが、礼の歪みの主な原因は礼の合理性の欠如によるものです。
「礼における合理性を正すことを常に心がけねば」と空手指導者として思いますが、その正し方として最も留意すべきは、人への思いやりを根底とするような合理性を示すことにあると思います。
【思いやりの合理性】
合理性においては、人は利己的な合理性に走りがちです。
利己的な合理性は、人への思いやりの合理性とは時に相反します。

自分の都合である合理性が優先されるべき時もありますが、逆に都合がつくならば利己的な合理性よりも人への思いやりの合理性を優先させるのが武道としての礼であり、それが武道の強さです。
武道としての礼の合理性、空手指導者として実践し、指導して行きたいと思います。
2026.9.29記





































