空手のススメ、徳島の田舎道場から

written by 逢坂祐一郎(新極真会 第8回世界大会 2位)

〝人にまみえる〟ことのススメ、人にまみえて知る自分の悪い面

 一昨日の日曜日(6/9)は、香川県にて丸亀市錬成大会でした。

 大会を主催、運営された新極真会香川中央支部支部長・原内師範、原内道場スタッフの皆様、趣向を凝らした素晴らしい大会に参加させていただきありがとうございました。

 新極真会徳島西南支部からは19名がエントリー。

 移動稽古の部でイッシン君が優勝。
 型団体の部でイッシン君が優勝。
 型個人の部でリトちゃん、イッシン君、イマリちゃん、カナト君が優勝、ユウセイ(中田)君が2位。
 試し割りの部でカナト君が優勝。
 組手の部でタイシン君、ユアちゃん、シントウ君が優勝、リョウマ君、コウダイ君、カナト君、エイト君が2位、イッシン君、アルト君が3位でした。
 入賞できた人も、できなかった人も、みんな良く頑張りました!!

 保護者の皆様もお疲れ様でした。

 さて、鴨島道場の土曜日の居残り稽古では、通常稽古などで行っている競技ルールとは違う、顔面への突き有りルールでスパーリングをしています。
 最近、この居残り稽古の自分のスパーリングが、突きだけの攻防に終始し、突きへのディフェンス力は高まった分、顔面への突き有りルールでの蹴りに対するディフェンスにスキが生じている気がして、先日、道場生に積極的に蹴ってくるようにリクエストしたところ、案の定、被弾。


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 久しぶりに、目の周辺を腫らしました。

 組手の幅を広げるために、競技ルールとは違うスパーリングを稽古していましたが、逆に組手の幅が狭まっていました。
 大いに反省し、自身の異種ルール・スパーリングの本来の目的を遂げるべく、研究、工夫をしていきたいと思います。

 まさに痛い目を見た今回の反省ですが、自分で〝自分のスキ〟に気づけたことは、手前味噌ながら良かったかと思います。
 〝自分のスキ〟は〝自分の悪い面〟ですが、人間、誰しも〝良い面〟もあれば〝悪い面〟もあるものです。
 人間は自分の悪い面に気づき、それを改めることに務めるべきです。

 自分の悪い面に気づき、改めることで、社会における人間関係は良くなり、またさらに「自分に悪い面があるように、他人にも悪い面がある」ことを悟り、他人の悪い面に寛容になり、大度(広くて大きい度量)になることで人間関係は深まると思います。
 しかし実際、誰しもが自分の事が見えていそうで見えていないもので、自分の悪い面に自分で気づくことは、人の性(さが)として困難なことに思います。

 自分の悪い面に、どうやって自分で気づくか?
 そのためには〝人にまみえる〟ことが、基本的条件のように個人的に思います。
 「まみえる」は「会う」の謙譲語であり、謙遜的な態度での人との対面を意味する言葉です。
 「謙遜」という言葉を改めて調べてみると「へりくだること。控え目なつつましい態度でふるまうこと。」とあります。

 「まみえる」ことの謙遜から、自分を卑下するような単なるへりくだりを除き、謙遜を控え目で一歩引くような態度として徹すると、人間関係における視野が広がると思います。
 そして、その視野の広がりは、自分自身にも広がり、自分への客観視になるものに思います。

 人にまみえて自分を客観視することは〝他人の良い面を自分に照らし合わせ、そして自分の悪い面に気づく〟ような道筋に繋がるものと思います。
 謙譲的な意味合いの通った〝人にまみえる〟ことは、〝自分の悪い面に気づく〟手段の一つになると個人的に思います。

 〝人にまみえる〟ことは、社会参加する人であれば、ありふれたことのように思いますが、コロナ禍以降、リモート対面などの流行で、対面そのものとしての〝人にまみえる〟機会は減ってきているように思います。

 また社会の様々な要因で、自己肥大な人は増えているように思いますが、自己肥大な人の人との対面に謙譲的な〝人にまみえる〟意味合いは薄いものと思います。
 リモートは効率的に有益であり、コロナ禍以降の社会でも浸透していくと思います。
 また、何でも好き勝手に発信できる昨今のインターネット社会では、自己肥大な人は増加していくものと思います。

 これからの社会は、謙譲的な意味合いの通った〝人にまみえる〟ことが、希薄になっていくように思います。
 〝人にまみえる〟ことが希薄になっていく社会であるからこそ、これからの社会には〝人にまみえる〟場が必要に思いますが、私が〝自分のスキ〟=〝自分の悪い面〟に気づいたように、空手道場は〝人にまみえる〟最適な場の一つになり得ると個人的に思います。

 コロナ禍では、オンライン稽古としてリモートでの稽古形態もありましたが、空手の稽古は対面・対人でなければ、その本質は身につかず、空手道場は対面・対人であることが必須です。
 空手道場は〝礼〟に則り空手を稽古する場ですが、我々の空手が道場訓で「謙譲の美徳」を謳うように、武道としての空手道場には〝人にまみえる〟謙譲的な意味合いが〝礼〟として重んじられています。

 また、空手道場は組手・スパーリングを行いますが、その攻防の中で私が〝自分のスキ〟に気づき、痛い目に合ったように、対戦相手を通して〝自分の悪い面〟を肌で感じることができます。


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 空手道場は〝人にまみえる〟意義を有する場ですが、新極真会徳島西南支部では、指導者として私自身が自身の稽古で〝自分のスキ〟に留意することで、〝人にまみえる〟空気を道場内で息づかせて行きたいと思います。

 < ご案内>【新極真会徳島西南支部、道場生・保護者様対象】

 次の日曜日(6/16)に行われる東京都大会に、逢坂が出席するため以下の道場の稽古は全クラスお休みとなります。
 6/15 ㈯…美馬道場、鴨島道場
 6/17 ㈪…阿南道場
 道場生、保護者の皆様、よろしくお願い致します。

 現在、以下の大会を案内中です。

 8/12( 月・祝 )…第23回全四国錬成空手道選手権大会 場所<愛媛県武道館> 支部内締切り<7/6㈯> 主催<新極真会高知支部>

 9/15 ㈰…リアルチャンピオンシップ四国予選大会(併催・すだち杯) 場所<藍住町体育館> 支部内締切り<7/4㈭> 主催<神武會舘>

 9/16( 月・祝 )…第2回兵庫県空手道選手権大会 場所<兵庫県立武道館> オンライン申込み期間<6/17㈪~7/16㈫> 主催<新極真会兵庫中央支部>

 9/22 ㈰…第41回全中国空手道選手権大会 場所<広島県立総合体育館小アリーナ> 支部内締切り<6/29㈯> 主催<新極真会広島支部>

 出場希望の道場生は指導員まで、申し出てください。

 6.11.2024 記

稽古でしっかりリアクションすることのススメ、自分の意志に反応する身体づくり

 ブログでよく書くことですが〝見る力〟〝聞く力〟〝想像する力〟などに代表される、認知能力という概念があります。
 子どもの学習能力の根幹となる能力であり、凶悪犯罪を引き起こす少年犯罪者は認知能力が総じて低い傾向にあり、認知能力の向上は子どもの健全な発育においての最重要課題とされています。

 〝見る力〟〝聞く力〟〝想像する力〟の認知能力、文字面を見るに〝力〟の文字がたくさん見られますが、認知能力は〝力〟の概念とも言えるように思います。

 〝力〟は実際に物を持ち上げるような物理的、そして認知能力のように概念的に存在します。
 物理的、概念的を問わず人間にまつわる〝力〟は養われ、高まるものですが、〝力〟の養成、強化は、何かしらへの反応から生じるものと個人的に思います。
 物理的な人間の〝力〟は、例えばバーベルような重たい物を持つことで養成、強化されます。

 バーベルを持つという動作は、身体の反応ですが、その反応は「力をつけたい」という内面的な意志から起こるものです。
 身体の反応は内面的な意志から生じるものですが、逆説的に自分の意志は、自分の意志に反応する身体がなければ成就しないように思います。
 認知能力は概念的な〝力〟ですが、例えば〝見る力〟は黒板に書かれた文字を見て、正確にノートに書き写し、記憶するような概念的であっても身体の反応による〝力〟です。

 子ども達の意志は、身体の成長に伴う内面的な心の成長とともに成熟し顕在化しますが、心の成長、成熟ともに子ども達の意志は、自分の幸せを求めて自分の夢や希望を追うようになります。

 しかし、自分の意志に反応する身体がなければ、夢や希望を追うために必要な行動が伴わず、その意志は遂げられないように思います。
 自分の意志で「見よう」と思っても、見たいものを視野に収め、記憶に止めるなどの身体の反応がなければ、例え、見たいものが目に映っても、本質的に「見る」ことは能わないものと思います。
 意志に反応する身体は、反応の感度の違いが個々にあるように思いますが、意志に反応する身体は訓練によって一様に高まるものと思います。

 認知能力は自分の意志に反応する身体の作用としての一面があり、意志に反応する身体づくりの観点からも、子どもの健全な発育においての最重要課題となるものに思います。

 子ども達を中心とした道場生の認知能力の向上は、空手指導者として私が重視する指導指針の一つですが、稽古においては具体的に下記のような反応(以下、リアクション)を子ども達から引き出し、認知能力の向上を図っています。

 〝見る力〟を養うためのリアクション、真似をすること。
 私は稽古では手本となる人の動作を真似て、手本の人と同じように稽古動作を行うこと重視して指導します。


 初心者や年齢の幼い道場生には手本と全然違っていても、咎めたり、細かく修正したりしませんが、誤っていても真似て身体を動かすこと自体が〝見る力〟を養うリアクションになると思います。
 真似るリアクションは〝見る力〟を養うリアクションと、私が指導する稽古では位置付けています。

 〝聞く力〟を養うためのリアクション、聞くことからの確認で稽古動作を誤らないようにする。
 私は年齢の幼い道場生には、「左手はどっち ? 右手はどっち ?」と左右を確認し、「それでは左、右とワンツーパンチを打ってください。」などと、なるべく指示する指導内容に確認を加えます。

 指導内容の指示を聞いて確認のもとに、誤らずに稽古動作を行うことは〝聞く力〟を養うリアクションになると思います。
 確認のもとに行う正しいリアクションは〝聞く力〟を養うリアクションと、私が指導する稽古では位置付けています。

 〝想像する力〟を養うためのリアクション、動作にイメージを伴わせる。
 私はディフェンス練習を重視しますが、受け返し棒と名付けた発泡ポリエチレンの棒を用い、ペアとなって受け返し棒を持っているものが、ペアの相手の顔を打ち、打たれる側は自分の顔に襲来する受け返し棒を上段回し蹴りとイメージしてブロックする、などの稽古をよく指導しています。

 初心者でイメージが未熟な道場生は顔を打たれたりしますが、稽古を重ねるにつれ上段回し蹴りのイメージが整い、次第にタイミング良くブロック出来るようになります。
 イメージからのリアクションは〝想像する力〟を養うものと思います。
 リアクションは動作となりますが、動作にイメージが伴うリアクションは〝想像する力〟を養うリアクションと、私が指導する稽古では位置付けています。

 新極真会徳島西南支部の道場生には、種々の稽古でしっかりとリアクションを示して欲しいと思いますが、稽古でのリアクションは自分の意志に反応する身体づくりとなるものです。

 自分の身体が、自分の意志に反応するか、どうかは、その人の人生を大きく左右する要因になると思います。
 悩みを抱える人の中には「自分の思いに、自分の行動が伴わない」などと、口にする人もいます。
 新極真会徳島西南支部では、自分の意志(思い)に反応(行動)する身体づくりとして、道場生のリアクションをしっかりと引き出す稽古指導を心掛けたいと思います。

 < ご案内>【新極真会徳島西南支部、道場生・保護者様対象】
 現在、支部内で新しい徳島西南支部Tシャツの購入案内をしています。

 購入は任意であり、義務ではありません。
 ただし、在庫は用意致しませんので、購入はこの機会のみとなります。
 申込み期間は6/12㈬までとなっています。
 購入希望の道場生の皆さんは、期間内までにお申込みをお願い致します。

 6.4.2024 記

武道空手から触発される保護者の母性、父性のススメ、第9回全日本フルコンタクト空手道選手権大会

 先週末の土曜、日曜日(5/25・5/26)は、大阪にて第9回全日本フルコンタクト空手道選手権大会が開催されました。

 同大会に私は審判員として参加させていただきましたが、体重別では国内最高峰の素晴らしい大会に参加させていただき、主催された緑JFKO代表理事をはじめする大会関係者の皆様、誠にありがとうございました。

 さて新極真会徳島西南支部からは、桒島十輝初段が選手として出場。


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 結果は初戦敗退でした。

 今大会の桒島初段の出場においては、保護者様の主導で応援バナーをご用意いただいたり、現地での応援に複数の道場生、保護者様にお越しいただいたりと道場生、保護者様からのご厚情が寄せられました。
 桒島初段の指導者として、皆様のご厚情にはとても感謝致しております。

 ご厚情が寄せられたのは第一に桒島初段の人柄によるものですが、私は桒島初段の人柄に保護者の皆様の母性、父性が感応したこともあったように感じました。
 母性、父性は親としての本能や性質ですが、その本質は一人の人間としての子に対する〝理解〟〝許容〟などに思います。

 桒島初段は空手を始めて12年になりますが、今回のご厚情を示していただいた保護者様のお子さん達も桒島初段と同じくらいの年月を道場生として過ごしてきました。
 保護者の皆様におかれては、空手を通してのお子さんへの理解が母性、父性の本質として深まるにつれ、お子さんと共に空手を頑張ってきた桒島初段への理解も深まったように思います。

 私はブログでよく書くように、武道は武士道と認識しています。
 武士道の中核は〝惻隠(そくいん)の情〟とされています。
 〝惻隠の情〟は「庇護を必要とするものへの憐れみ」といった一面がありますが、それは親の子を思う気持ちと同質とされています。

 新極真会徳島西南支部では桒島初段が入会する以前から、稽古中に道場生が嘔吐した時など、私が清掃しようとすると保護者の皆さんが率先して清掃の手伝いをしてくれていました。

 そういった保護者様が、だれかれ問わずに道場生を庇護してくださることは、ずっと今でも続いています。

 〝惻隠の情〟は「惻隠の情は仁の端なり」とも言われ、〝仁〟は五常の徳(以下参照)の最高位を示すものです。

 「徳は最高の人としてのあるべき姿、人間に備わっている良き性質を意味します。 ちなみに徳の内容は「五常の徳」と言って、仁(思いやり)、義(正義)、礼(秩序)、智(智恵)、信(言行一致)という5つに分かれています。 孔子はこの五常の徳の中で仁が一番徳の高い、大事なものだと言っています。」

 〝惻隠の情〟は〝仁〟でもありますが、〝仁〟は人の徳として、ひろやかであるべきものに思います。
 「モンスターペアレント」という言葉が聞かれるようになって久しいですが、現在の学校問題の多くはモンスターペアレントに起因しているように思います。
 個人的にモンスターペアレントは、我が子のみに固執するような、人の徳としての〝仁〟が母性、父性から欠落した人たちのように思います。

 新極真会徳島西南支部は、武道空手を標榜してます。

 武道としての空手道場は、武道が武士道ゆえに〝仁〟としての〝惻隠の情〟が介在するコミュニティであるべきと思います。
 現在の空手道場は少年部道場生が多く、試合などのイベントを通じて道場生の保護者がお子さんの空手に多方面で関わってきます。
 武道としての空手道場は、稽古する道場生以外にも武道精神を示し、その精神を波及する場であるべきと思います。

 武道としての空手道場においては、道場生の保護者においても、子の空手への理解が深まるにつれ〝仁〟そして〝惻隠の情〟による良質な母性、父性が触発される場に思います。
 今回の桒島初段への新極真会徳島西南支部の保護者様のご厚情には、感謝と共に武道としての空手道場である新極真会徳島西南支部の矜持も感じさせていただきました。
 今後もこの矜持を胸に、道場生への指導に鋭意努力し、全日本フルコンタクト空手道選手権大会のような大きな舞台に立つ選手の育成を目指していきたいと思います。

 改めて保護者の皆様、ありがとうございました。

 さて桒島初段、対戦相手は出場した階級の優勝者となった格上の選手でした。
 大差での敗退は当然ですが、試合で反則を2回犯した事は、今回の大きな失点です。
 本人が感じている以上に、緊張があり、技が雑になったと思いますが、反則を含めてチャンピオンとの大きな実力差が感じられた試合からはたくさんの、そして、とても意義のある課題が得られました。

 当然的な大差、失点を犯しての敗退となった桒島初段の全日本初舞台ですが、舞台に立つまで、そして初舞台での桒島初段は勇敢であったと思います。
 時には試合で屈辱的な失点し、失点からたくさんの課題を抱え、そして勇敢に次の試合に向かって稽古を続けて、桒島初段はここまで来ました。
 これから受験のため一旦試合からは遠ざかりますが、空手での〝試合での失点→課題の抽出→次に向かっての稽古〟の長年のサイクルは桒島初段の心に勇敢な武道の心を灯したと思います。

 また、この舞台を目指して頑張って欲しいと思います。

 とっくん、第9回全日本フルコンタクト空手道選手権大会、よく頑張りました!!
 桒島家の皆様も、第9回全日本フルコンタクト空手道選手権大会、お疲れ様でした。
 5.28.2024 記

〝干渉の道理〟を見据えることのススメ、誹謗・中傷の前提に存在する他人への〝干渉〟

 インターネット上の誹謗・中傷問題は、依然として大きな社会問題であり続けているようです。
 私もSNSで誹謗・中傷をよく見かけますが、誹謗・中傷は発生の前提として、人への〝干渉〟があるように思います。

 〝干渉〟を改めて調べてみると「立ちいって他人の物事に関係すること。他人のことに立ちいり、強いて自分の意思に従わせようと指図・妨害すること。」とあります。
 干渉は悪い意味合いが強い言葉ですが、必ずしも悪い意味合いだけが先行するものではないと思います。

 上記では「他人のことに立ち入り」とありますが、他人を「自分以外の人」と定義した場合、親の子に対する干渉などは、何もできない赤ちゃんで生まれてきた子に親が干渉することは自然なことであり、親の子に対する干渉のような必然的な干渉も存在します。

 必然的な干渉が存在するように、他人と関わりあって生きてゆく人間は、誰かに干渉し、また誰かから干渉されることが宿命であるように思います。
 人間にとって干渉が必然であるのならば、干渉から発生する誹謗・中傷は、その前提にある、他人に対する干渉を見据えることで、解決策の一つが見えてくるように個人的に思います。

 私自身の干渉を見据えた時、まず頭に浮かぶのは空手の指導者として行う〝道場生に対する干渉〟です。
 私は道場生に対する干渉に自分なりに注意を払っていますが、プライベートな事には干渉せず、道場生の空手に関しての干渉のみからブレないことを心掛けています。

 「しっかりご飯を食べて、しっかり寝て、身体を大きくしよう」などと、私生活に干渉することもありますが、そういった干渉もあくまでも空手に関連したものであり、そして、その干渉が道場生の私生活に好影響をもたらす内容であることに留意しています。

 また、道場生は当り前のことですが、空手を学び、そして稽古するために道場に通ってきます。
 私自身がそうでしたが、熱心に空手を学び、稽古する修練者ほど「自分がしている稽古は正しいのか?」といった疑問を持つものです。
 その疑問は指導者の指導内容にも向けられますが、指導者への道場生からの視線には、指導者への干渉といった内実が含まれるものと思います。

 空手の指導者は道場生に〝干渉する立場〟でありますが、道場生から〝干渉される立場〟でもあると私は思います。
 私は道場生からの干渉に対しては、自身が学び、研鑽した〝正しい空手〟を実践し、そして指導することを対応として心掛けています。
 私は空手指導者として〝干渉する〟〝干渉される〟立場にあって、「空手からブレない」「正しい空手を指導する」といったことを留意、心掛けていますが、それは干渉が発生する人間関係においての〝道理〟を通すことと任じています。

 干渉は人間関係における宿命であり、また〝必然的な干渉〟〝不要な干渉〟に大別されますが、様々な形態があるものと思います。

 様々な〝必然的な干渉〟には、それぞれ〝道理〟が存在するものと思いますが、〝干渉の道理〟は人間関係の道理を正せば、自然と見えてくると思います。
 基本的な人間関係である親子関係を〝干渉の道理〟に照らした時、親子関係においては「親から子への干渉」が基軸となると思います。
 自力では生きられない、赤ちゃんとして生まれきた子は、親の養育で自力で生きる力を身につけていきます。
 〝自力で生きる力〟は、教育の最大目的とされる〝自立〟の概念の一つであると思います。
 子の〝自力で生きる力〟は親の養育で芽吹き、そして教育によって子の〝自立〟へと結実するものに思いますが、養育・教育は親子関係における〝必然的な干渉〟と思います。

 子の〝自立〟に至る親の養育・教育としての干渉の根底には「子を幸せを願う親の心」が存在するものですが、それは親子関係における〝干渉の道理〟となるものに思います。
 干渉が発生する人間関係においては、何事においても「空手の指導者と道場生」「親と子」といった人間関係の根底を見据え、〝干渉の道理〟を踏まえねばならないと思います。

 インターネット上の人間関係は実生活では繋がりのない、希薄な関係が多いと思いますが、そもそもインターネット上では〝必然的な干渉〟は希少と思います。

 希少の必然性のうえで、あえて希薄な人間関係で干渉するため〝干渉の道理〟が成り立たず、干渉がいびつになり〝不要な干渉〟として誹謗・中傷は発生するように思います。
〝干渉の道理〟は、インターネット上の誹謗・中傷問題だけでなく、大きな視点では中東情勢、ウクライナ危機など、昨今の世相においては個々人が見据えるべきのことのように思います。
 個々人が世相に反映する様々な視点、そして大きな視点で〝干渉の道理〟を見据えるには、個々人が自分の身の回りに生じる身近な干渉の道理を見据えることが大切だと思います。

 私、一個人を成り立たせる色合いは、空手指導者としての色合いが濃いものですが、空手指導者としての〝干渉の道理〟を見据えることを見失わないように、日々の指導に専心したいと思います。

 < ご案内>【新極真会徳島西南支部、道場生・保護者様対象】
 5/23 ㈭の美馬道場の稽古は道場が所在する施設のトイレが使えないため、お休みとさせていただきます。
 支部内配布のニュースレターには、記載されていないお休みとなりますのでご注意ください。

 5/24 ㈮~5/27 ㈪まで、JFKO全日本大会関連の出張のため、以下の道場の稽古はお休みとなります。
 5/24 ㈮…徳島市加茂道場
 5/25 ㈯…美馬道場、鴨島道場
 5/27 ㈪…阿南道場
 よろしくお願い致します。

 5.21.2024 記

〝相対的な自由〟のススメ、空手のスパーリング・組手から生成される〝相対的な自由〟

 一昨日の日曜日(5/12)は、徳島県三好郡にて第6回徳島県フルコンタクト空手道選手権大会・オアシス杯でした。 

 大会を主催、運営された聖空会山本道場・山本師範、山本道場スタッフの皆様、大会に参加させていただきありがとうございました。

 新極真会徳島西南支部からは22名がエントリー。
 今回は組手部門のみの大会でしたが、イッシン君、タイト君、アヤネちゃん、イロハちゃん、ユイト(白川)君、アシュウ君が優勝、キイト君、ソウシロウ君、イマリちゃん、ユアちゃんが2位でした。

 入賞できた道場生も、できなかった道場生も皆んな、よく頑張りました!!
 皆んな、お疲れ様でした。

 また保護者の皆様も、お疲れ様でした。

 さて私事ですが、先日、スパーリング中に足の中指を突き指し、2週間ほど、びっこを引くような怪我をしました。
 結構ひどい突き指で 1ヶ月以上経過した今でも腫れがひいていませんが、びっこを引いて歩いている期間は生活全般において、とにかく不自由な思いをしました。
 びっこを引かなくなり、ある程度自由に動けるようになると、改めて自由に動けることの有難さを感じましたが、私が特に自由に動けることの有難さを感じたのは空手の稽古においてであり、それも格別スパーリングにおいてです。

 先般「スパーリング・組手で相手の技の被弾による痛みで体がすくみ、スパーリングで自由に動けなくなるのは、痛みに自由を奪われることであり、痛みに耐える打たれ強さを身に付け、痛みに屈せずスパーリング・組手で自由に動くことは、自由の本質を身に付けることになる」といった内容のブログを書きました。
 怪我の痛みも、上記同様にスパーリングでの自由を奪うものになりますが、先日の負傷では、私自身がスパーリングにおける自由の意義を改めて再考する機会となりました。

 空手のスパーリング・組手で感じる自由とは、逆説的に痛みが自由を奪うことから、自分に痛みを与える対戦相手があってこそ感じる自由となります。
 スパーリング・組手での自由は〝対戦相手に自由に攻勢を加える〟もしくは〝自由に相手をコントロールし守勢を保つ〟といった対戦相手との攻防の中で表出されるものです。

 自由な攻勢、自由な守勢とは、〝相手の守勢、攻勢に囚われないこと〟から成り立ちますが、〝相手に囚われない〟ことは自由そのものの本質の一端になると思います。
 また空手のスパーリング・組手では相手の守勢、攻勢に囚われると、対戦相手への空回り、対戦相手との衝突などが起こりますが、空回り、衝突などは、痛みなど自由を奪う要因の元になります。

 〝相手の守勢、攻勢に囚われないこと〟は、対戦相手に対する空回りや衝突などの回避、もしくは一時的な衝突があっても止まらずに動きを妨げられないことであり、衝突への回避、衝突に妨げられない動きは、対戦相手との〝調和〟を織り成す一面があります。
 以上のようなことを、つらづらと考えるに空手のスパーリング・組手における自由は、対戦相手があってこそ成り立つ〝相対的な自由〟と言えるように思います。

 ところで〝相対的〟の対義語は〝絶対的〟ですが、〝相対的な自由〟に対して〝絶対的な自由〟といったことが、あるように思います。
 〝絶対的な自由〟とは、何事、何者にも囚われない至高の自由のようなイメージがありますが、私が思う〝相対的な自由〟の対義的観点から見据えると、そのイメージは成り立たないように思います。

 〝絶対的な自由〟がどういったものかを考えるに、〝相対的な自由〟が人との調和を織り成すのに対し、〝絶対的な自由〟とは自分本位に何事、何者にも囚われないことが裏目に出る、自分の我執に囚われた〝エゴの自由〟であるように私は思います。

 昨今の世相では、人の主張を押しのけ、自分の主張ばかりを正当化し、それを自由とする風潮が多く見受けられますが、そういった自由に私は〝絶対的な自由〟を感じます。
 自由は、誰にあっても自由であるべきです。

 自分の自由が人の自由を阻害するものであれば、それは自由とは呼べないものだと思います。
 「誰にあっても自由である」本来の自由が社会に行き渡るには、社会参加する人たちが、自分と関わりのある人に対しての〝相対的な自由〟を一つ一つ丁寧に構築することが必要に思います。
 空手、特に突き蹴りを実際に当てるスパーリング・組手を行う我々の空手は、人との調和を基軸とする〝相対的な自由〟を身に付ける最適な手段の一つに思います。


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 私は空手の指導者として自身の〝相対的な自由〟を深め、人との調和を基軸とする 〝相対的な自由〟を道場生に指導していきたいと思います。

 5.14.2024 記

 〝これまでの自分〟と〝これからの自分〟を分かつ、分岐点、背中を見せても再び前を向くことのススメ

 連休中の金曜日 (5/3) は支部内強化稽古でした。

 3 時間の長時間でハードな稽古でしたが、参加した道場生の皆んな、お疲れさまでした。

 また一昨日の月曜日 (5/6) は、愛媛県新居浜市で四国・岡山合同稽古でした。
 参加した道場生には有意義な稽古となりましたが、四国・岡山合同稽古を主宰、準備してくださる新極真会高知・愛媛支部支部長・三好師範、野本師範代、近藤先生、今回も誠にありがとうございました。

 参加した道場生の皆んな、よく頑張りました。
 四国・岡山合同稽古で学んだことを、今後の試合、稽古に活かしていきましょう !!
 同行の保護者の皆様も、お疲れさまでした。


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 さて、上の添付動画は、先日の道場生の試合。
 序盤、中盤は攻勢を見せるも、終盤は一方的な敗勢に追い込まれての敗戦でした。
 はるかに格上選手との対戦であり、一方的な展開での敗退は当然の結果ですが、当初から圧倒的な実力差が予見される対戦の中で、私は内容的には良い試合をしたように思います。
 試合内容で良かったと思う展開は、攻勢を見せた序盤、中盤よりも、私個人は一方的な敗勢展開となった終盤にあります。

 下の添付動画は丁度、10 ヶ月前の彼の試合。


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 試合序盤での、いわゆる KO である 1 本負け。
 しかも、対戦相手に背中を見せての敗戦です。

 私は武道とは、武士道と認識していますが、武士道においては敵に背中を見せることは〝恥辱〟とされます。
 武道としての空手の試合において、対戦相手に背中に見せることは、武士道においての〝恥辱〟と少し意味合いが違ってきますが、それでも武道精神においては〝屈辱〟と評されてしかるべき敗戦です。

 10 ヶ月前の試合では、彼自身が一番、屈辱を感じていました。
 10 ヶ月前の試合と今回の試合では、序盤と終盤の違いはあれ、同じように一方的な敗勢に追い込まています。
 しかし今回の彼は、対戦相手に背中を見せませんでした。
 私が今回の彼の試合で一番良かった思う点は、敗勢の中で背中を見せなかった彼の闘志です。

 今回の試合は私もセコンドについていましたが、終盤の敗勢の中で、従来の彼であれば背中を見せるような強打の被弾が何度かありました。
 その被弾のたびに「また、背中を見せるのでは…」といった不安がセコンド中に脳裡によぎりましたが、場外に押し出されても彼は試合終了の時間まで、対戦相手に向き合っていました。

 彼が対戦相手に背中を見せることは、10 ヶ月前の試合だけでなく、これまでの強豪選手との稽古スパーリングの中でも、何度もありました。
 試合、稽古で強豪選手に背中を見せてしまうことは、彼が空手を通して自分を見据えた時に見えてくる、彼自身の一番の課題となるものです。
 今回の試合で背中を見せなかったことは、その課題を一つ克服したものと、私は思います。

 試合後は、今回の敗戦を悔しがっていたそうですが、その悔しさは、これまでの武道精神、武士道精神にもとる〝恥辱〟〝屈辱〟とは全く異質のものです。
 今回の悔しさは〝これまでの自分〟と〝これからの自分〟を分かつ、分岐点となるものです。
 今回の彼の悔しさに対し、私は指導者として〝これまでの彼〟には「良く、頑張った」と思う心情ですが、分岐点として〝これからの彼〟には「その悔しさを、これからの試合で払拭しろ」と、さらなる成長を期して叱咤するものです。

 以前のブログで「これからの自分が、これまでの自分を決める」との言葉を引用しましたが、人は〝恥辱〟〝屈辱〟など、どんなに情けない思いをしても、それを払拭できるものです。

 〝恥辱〟〝屈辱〟などの情けない自分への思いは、それを払拭せねば、ずっと自分の人生の影となるものです。
 しかし、情けない自分への思いを払拭できた時、かつての〝恥辱〟〝屈辱〟などは、成長などに通じる福音と出来るものです。
 かつての情けない自分への思いを福音とするには〝これまでの自分〟と〝これからの自分〟を分かつ、分岐点を持つことが必要ですが、そのためには、打ちのめされ背中を見せても、再び前を向かなければなりません。

 背中を見せても再び前を向き、そして情けない自分への思いを抱えながらも、ずっと前を向き続けることで「あのような情けない思いをしたから、今の自分がある」と思える、情けない〝これまで〟を福音に感じる〝これから〟への分岐点は訪れると、私は思います。

 一つの成長は、一つの自分への自信ともなりますが、一つの成長と自信は、さらなる成長と自信へと繋がっていくものと思います。
 今回の試合で、彼は〝前を向く姿勢〟を示しました。
 それは分岐点として、彼に一つの成長をもたらしました。
 彼には、今回の悔しさを再び福音とすべく〝これからの自分〟に向かって、さらに前を向いて歩んでいって欲しいと思います。

 そして試合当日、たくさんの新極真会徳島西南支部の道場生が応援をしながら彼の姿を見ていましたが、応援をしていた道場生には、彼の〝前を向く姿勢〟を目に留め、自分が背中を見せるようなことに遭遇しても、再び前を向く気持ちと姿勢を身に付けるべく、空手の稽古に励んで欲しいと思います。

 また、よくブログで書くことですが、空手、特に我々の空手は厳しい武道です。

 しかし、厳しいゆえの意義があります。
 今回のような厳しさがもたらす〝これまでの自分〟と〝これからの自分〟を分かつ、分岐点などは、我々の空手の大いなる意義に思います。
 指導者として、我々の空手の意義を全うする稽古指導を心掛けたいと思います。

 5.7.2024 記

身体を使った気遣いのススメ、空手の稽古で身につく良質な社会的マナーの下地

 先ごろ、ある職場の人が「皆んな自分の事ばかり考えて、人 ( 同じ職場で働く同僚たち ) の事を考えていない。」と、職場の人間関係の行き違いを嘆いているのを耳にしました。
 そう嘆いている人も、職場の同僚がよく出入りする倉庫の入り口に、出入りに邪魔になるように自分の使った台車を置きっぱなしにする人だったので内心、可笑しく思いました。

 また、私は温泉が好きで近くの温泉によく行きますが、先ごろ温泉に併設されているサウナで、ある来場者が「この前は客が多くて、湯船の湯が汚かった。」と、その来場者の知人に愚痴っているを耳にしました。
 サウナに入る人の多くは、サウナの後に身体を冷やすために水風呂に入りますが、そのためにはサウナで掻いた汗を水風呂に入る前に流して入るのが常識です。
 しかし田舎では大半の人がサウナから出ると、そのまま汗を流さずに水風呂に入ります。
 「湯が汚い」と愚痴っていた来場者も、サウナから出た後そのまま水風呂に入っていましたが、「湯が汚いのは気にするのに、自分の汗で水が汚くなるのは気にならないんだ」と、それも内心、可笑しく思いました。
 ちなみに、私はサウナから出ると必ず汗を流してから水風呂に入ります。

 上記の 2 件の話ですが、2 件は〝自分の事を棚に置く〟といった共通点があります。
 今更ながらの事ですが、〝自分の事を棚に置く〟とは「自分にとって都合の悪いことに目を背け(て他人の同じ点は非難す)るさま」との意味のことわざです。
 「自分にとって都合の悪いこと」に単に気づいていないのだったら、ただの滑稽であるのですが、人に対する傲慢さ、横柄さで「自分にとって都合の悪いこと」気づかないのであれば、それは笑えるものではありません。
 私は「田舎の人間は傲慢」とよくブログで書きますが、田舎の人間の傲慢さによる弊害の一つは、他人の利害には無頓着なのに、自分の利害には執着することです。
 上記の 2 件は可笑しく思いつつも、ため息が出るような田舎の悪弊を感じる出来事でした。

 ところで先日、道場への到着が私と同じタイミングとなった幼稚園の道場生がいました。
 私が道場の鍵開け、その道場生を先に道場に入室させましたが、彼は先に入室したあと、開いたドアを自分の手で開いたままにして、私が入室するのを待ってくれていました。
 その道場生は年柄相応の部分もありますが、稽古への集中力を欠き、よく稽古中に注意しますが、彼が私が入室するまでドアを開いたまま待ってくれた事は「幼いのに、こんな気遣いが出来るんだ」と、ちょっと驚きでした。

 そして上記の 2 件が、この出来事の前にあったことで、2 件の当日者が私よりも年齢の上の中高年の人たちだったことも重なり、幼いながらも見せた道場生の気遣いが、とても尊いものに思いました。
 また「幼稚園の幼い子どもが人に気遣いが出来るのに、なぜ、いい年をした大人が自分の事は棚に置き、人への気遣いができないのか ?」とも思いました。

 田舎の大人の場合、個人的には田舎の悪癖である傲慢さが、人への気遣いを欠く要因の一つにあると思いますが、一番の要因は〝身体を使った気遣い〟をしてこなかったことにあるように思います。

 人への気遣いは、現代社会ではマナーとして家庭、学校などで学ぶものです。
 しかし家庭や学校で学ぶマナーは単に知識的、作法的に学ぶことが多く、ドアを開けたまま待っているような人に対する気遣いとしてのマナーを相対的に直接相手へと、また身体反射的に学び、身に付ける機会は少ないように思います。

 自分の身体を使い相対的、身体反射的にマナーを身に付けていないため、田舎のような傲慢さを悪癖に持つ人間社会 ( 田舎だけに限りませんが ) では、自分のことは棚に置くようなマナーの悪い対人感覚が生じてくるように個人的に思います。

 マナーは社会に不可欠なものです。
 相対的、身体反射的な良質な社会的マナーを身に付けるには、自分の身体を使って人に対して気遣いをする習慣を持つことが有効と思いますが、空手はその習慣を稽古として行う武道です。

 空手の稽古では、ミット稽古などの対人稽古を行います。

 私はミット稽古ではミットの持ち手に対し、ミットを打つ人が打ちやすいようにミットを持つように指導します。
 持ち手がミットを持つ角度などがデタラメだったりすると、ミットを打つ人はひどく打ちにくいものですが、打つ人が打ちやすいミットの持ち方は自分がミットを打つことを考えれけば自然と分かるものです。
 〝打つ人が打ちやすいようにミットを持つ〟ことが肝要なミット稽古などは、〝身体を使った気遣い〟を養うものに思います。
 また空手の対人稽古はミット稽古に限らず〝身体を使った気遣い〟を養成しますが、〝身体を使った気遣い〟を養う空手の稽古は、良質な社会的マナーを身に付ける下地になると思います。

 傲慢さに毒されず、横柄さに凝り固まっていない子ども時代は、良質な社会的マナーを身に付けるのに最も適した時期と思います。
 新極真会徳島西南支部では、子ども達が〝身体を使った気遣い〟を養い、良質な社会的マナーを身に付ける下地を養成する空手の稽古を指導していきたいと思います。

 < ご案内 >【新極真会徳島西南支部、道場生・保護者様対象】
 本日の火曜日 (4/30) は、阿南道場 ( 黒津地コミュティーセンター ) で振替稽古を行います。
 そのため、本日の徳島市加茂道場はお休みとなります。

 また 5/3 ㈮~5/6 ㈪の期間は連休のため、新極真会徳島西南支部の各道場の稽古は全クラスお休みですが、以下の通りに支部内強化稽古、四国・岡山合同稽古が行われます。

 5/3 ㈮…支部内強化稽古 ( 鴨島道場にて 9 時から 12 時 )

 5/6 ㈪…四国・岡山合同稽古 ( 愛媛県新居浜市・山根総合体育館にて 11 時~15 時 30 分 )

 参加する道場生の皆さんは、頑張りましょう !!

 4.30.2024 記