自分の事より他人の事を優先するなどの〝公の精神〟が日本人は旺盛と言われています。
東日本大震災の時には、海外であのような震災が起こると略奪などが起こるのが普通であるところ、ほとんどそのようなことがなかったのは日本人の公の精神によるものと言われていますが、時には自分を犠牲にしてまでも他人や周囲を優先する公の精神は日本人の美質として海外から驚嘆、そして称賛されています。

しかし、自分より他人を優先する公の精神は同調的思考に陥りやすく、主体性を損なう要因になるとも言われています。
昨今では日本人の美質である公の精神は保ちつつ、各個人がもっと主体性を持った社会を目指さなければならないとの声が高まっていますが、本来、日本の社会には主体性を培い、なおかつ各個人の主体性が不可欠な世界があります。
【技を盗む、主体性】
寿司職人の世界では親方が弟子を育てるのに手取り足取りといった細やかや指導はせず、弟子は親方の仕事に接し、その技を盗むように寿司職人としての技能を高めるのが伝統です。
師からの丁寧な指導を受けず、師の技に接し、その技を盗みながら技能を高める修行は寿司職人の世界のみに限らず、日本の様々な技能に関する世界は概ね、同様の修行スタイルです。

自ら技を身につける意思を持ち、身につける努力を続ける、技を盗むことは主体性である主体的行動ですが、日本社会の様々な技能世界は主体性によって培われてきたと言っても過言ではありません。
それなのに日本社会に主体性が希薄な印象があるのは、欧米では主体性に一般的に伴う〝主張〟が伴ってないからに個人的に思います。
【欧米と日本の主体性の違い】
日本社会の主体性の希薄さは、欧米人の視点から指摘されるところですが、欧米人は主体的であり、欧米人の主体性は主張によって顕在的です。
欧米では主張に主体性が伴わないと信用に結びつかない文化が根付いているため、自分の言葉に責任を持って行動するような主張と主体性の一体感があるように思います。

それに対し日本人の主体性は弟子が師に対して意見などを述べることのない徒弟関係に根付いているため主張がなく、主張がないがために主体性もないように見られる一面があるように思います。
海外との関わりがこれからますます重要になってくる日本社会にあっては、自分の主張をはっきり言える日本人が必要です。
しかし自分を主張できる日本人を増やすためには、主張のみに捉われてならないように思いうます。
【稚拙な日本人の主張】
もっと自分をしっかり主張するべきといった風潮やSNSの普及によって以前に比べれば、主張する日本人も増えてきています。
しかしSNSで見かける日本人の主張には稚拙なものが多いように思います。
それは日本人が主張と主体性を結びつける文化を持たないがために思います。

自分の発言には責任を持つことが主張には一番大切ですが、どうにも日本人の主張は単に好き勝手なことの言いたい放題な感があります。
主張の責任として主体性を結びつける感覚を持つことが、これからの日本社会には必要に思いますが、それには技能世界を中心した主体性の育成方法を日本社会の様々な世界分野に広げることが一つの手段になると思います。
【主体性をもとにした主張】
日本人の主体性は先述の通り技能の世界に根ざします。
空手をはじめとする武道も技能、〝技の世界〟です。
武道も本来は師の技を盗み、弟子は技量を高めるものです。

昨今は武道もスポーツ化が進み、手取り足取りといった指導が求められるようになりました。
私も空手指導者として昨今の時流に従い手取り足取りの指導を行いますが、技を盗む指導方法も残しています。
私が指導において自身で見本を見せるのはそのためです。
また道場生の主体性を育むため、礼儀指導なども細かくは指導しません。
細かい礼儀指導のない道場は武道らしさを損なうように思われるかもしれませんが、道場生は先輩たちがすることに習い礼儀を身につけていきます。

礼儀を主体性でもって身につけることは、礼儀の根幹であり礼法の要諦である〝他者意識〟の培養です。
他者意識は冒頭の公の精神の根底でもありますが、新極真会徳島西南支部では公の精神などの日本人の美質に連なる道場生の主体性を育み、主体性をもとにした主張のできる人材の育成を目指したいと思います。
2026.7.29記











































