空手のススメ、徳島の田舎道場から

written by 逢坂祐一郎(新極真会 第8回世界大会 2位)

学びの痛み。


 金曜日(9/20)の徳島市加茂道場、


 少年部クラス、

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 一般部クラス。
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 土曜日(9/21)の鴨島道場、


 選手クラス1部、
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 少年部クラス、

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 選手クラス2部、
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 一般部クラス。
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 初級者、小学生低・中学年対象の土曜日の選手クラス1部には、幼稚園年少の道場生が初参加、少年部クラスとはハード差が違うスパーリングで泣いてしましいました。


 泣いてしまった彼を慰める道場生たちがいましたが、慰めていた道場生は彼と1・2学年しか変わらない子たち、彼らもハードなスパーリングでいつも、もしくは時折泣いています。


 泣いている子の頭をヘッドギア越しに優しく撫でる光景は単に微笑ましいものでなく、自分もスパーリングで知った痛みから人の痛みを理解できる聡明さを私は感じました。


 不当な痛みは暴力であり、不当な痛みは心に傷を残します。


 しかし不当な痛みの対義となる正当な痛みは、感性を刺激し人の心を理解できる〝学びの痛み〟となりえるように個人的に思います。


 空手の組手・スパーリングの痛みを学びの痛みとできるかどうかは、その痛みを正当と捉えるか、不当と捉えるかによるものと思います。


 痛みを正当としうるには、指導者の指導理念と指導を受けるものとその周囲の空手に対する真摯さ如何かと。