空手のススメ、徳島の田舎道場から

written by 逢坂祐一郎(新極真会 第8回世界大会 2位)

子ども達の空手へのモチベーションを考えて、思うこと…

 先日の昇級審査を受審した皆さんの帯と昇級カードが準備出来ました。

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 昨日の稽古からお渡ししていますので、昇級者の皆さんにはモチベーションのアイテムとして、今後の稽古を頑張って欲しいと思います。


 さて、子ども達の空手へのモチベーションは常に考えるところですが、モチベーションのために稽古の本質を変えてはならないと個人的に思います。

 子ども達への空手の本質として、空手が子ども達にとって教育の機会である側面を持たなければならないと思います。

 義務教育という言葉がありますが、その定義は「義務教育とは国・政府(中央政府・地方政府)・人(国民・保護者) が子供が望む場合にのみ受けさせなければならない教育のことである。」とあります。

 〝子供が望む場合にのみ受けさせなければならない〟とありますが、本来、義務教育は子ども達の義務ではなく、子ども達の周囲の大人の義務となっています。

 しかしほとんどの実情、教育を受けることが子ども達のモチベーションを超えて子ども達の義務になっているのは、読み書きに始まる子ども達の社会参加に必要な能力を身につけて欲しいと思う、周囲の願いが色濃くなっているだめだと思います。

 教育が適切であるならば子ども達の未来のために、本人のモチベーションを超えて本来の意味合いとは違った義務が発生する実情を、私はある程度、是と思います。

 社会参加するのに読み書きに始まる学術を高めることは、社会参加を豊かにするものです。

 しかし学術のみでは、子ども達の社会参加能力の向上は片手落ちに思います。

 社会は人と人との繋がりで構成されています。

 学術によって繋がりを豊かにするとともに、繋がりの根本として繋がりを繋げるための人の気持ちを理解する情操も深める必要があると思います。

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 組手で人に打たれる痛みを知ることによって、人の痛みを知る空手は、情操を担うものと思います。

 子ども達にとっての適切な情操教育を請け負う一端として、空手道場は存在すべきと個人的に思います。

 以前、「子どもが、空手は楽しい、と人に聞かれても、うん、とは言わないけど、稽古は休まない」といったことを保護者様から伺いました。

 空手の教育的価値が道場の空気となり、保護者様のみならず、道場生もその空気を感じ取っているようにその言葉が思えて嬉しく思いました。

 空手の教育的価値を深めるように、日々の指導を思考錯誤していきたいと思います。


 昨日の美馬道場。

 1 部クラス(19 時~20 時)


美馬道場1部10.19.2020 ※この動画は音声が出ます。

 2 部クラス(20 時15 分~21 時15 分)


美馬道場2部10.19.2020 ※この動画は音声が出ます。

 10.20.2020 記