空手のススメ、徳島の田舎道場から

written by 逢坂祐一郎(新極真会 第8回世界大会 2位)

子どもが空手を習う論理を親が代弁することのススメ、空手を習うかどうか、3 歳児の意見を第一にすることへの疑問

 一昨日の日曜日 (9/17) は、新極真会徳島北東あわじ支部さんとの徳島合同稽古でした。
 今回の徳島合同稽古には現在、新極真会高知支部で稽古をされている広田一 ( ひろた はじめ ) さんが一部参加されました。

 広田さんは元衆議院議員で、次期、参院徳島・高知補欠選挙 (10/5 告示、10/22 投開票 ) に無所属で立候補されます。
 広田さんは歴とした新極真会会員であり、徳島合同稽古では一道場生として、気迫のこもった稽古をされていました。

 例年、新極真会高知支部が開催されている全四国大会では役員を務められており、個人的には以前から存じ上げていましたが、お人柄はとても誠実な方です。

 このブログを読んでいただいている徳島県高知県の皆さん、10/22 の参院徳島・高知補欠選挙では広田一 ( ひろた はじめ ) さんをよろしくお願い致します。

 さて先日 SNS で「お子さんに空手を習わせたい」と、空手道場に見学に連れて行ったとする親御さんの投稿を拝見しました。
 投稿された方は SNS での繋がりもなく全然知らない方で、見学に行ったとする道場も私の道場ではなく、どこの都道府県にあるかも知りません。
 おすすめ投稿として偶然拝見しましたが、投稿された方は稽古の様子をつづり、そして「子どもの意見を第一に聞いて、入会するかどうか決めたい」と SNS 特有のポップな感じで投稿を結んでいました。
 ところで「子どもの意見を第一に聞いて、入会するかどうか決めたい」とのことでしたが、お子さんは 3 歳とのこと。
 その投稿を拝見して、私は「3 歳児の意見を第一にするのか ?」と正直、驚きを感じました。

 確かに 3 歳児にも意見、そして意見の元となる意思があり、3 歳児の意見、意思を第一に受け入れるべき場合もあります。
 例えば 3 歳児の子が自分の近親者を拒絶するとして、その拒絶の原因が虐待などにある場合は、当然、拒絶の意思を受け入れるべきですが、そのような意思は自分の身を守る本能から発せられるものに思います。
 しかし意思には本能、または気分などに由来にするものとは別に、論理に基づく意思があります。
 3 歳児の意思の大半は本能、そしてその時の気分などが先行するものと思いますが、武道として空手を習うかどうかは、その時の気分などに由来する意思からでなく、なるべく論理に基づく意思で決めるべきに私は思います。

 3 歳児の論理は、当然成熟されたものではありません。
 論理を持って空手を習うかどうかを決めるなどは無理なことですが、3 歳児が空手を習う場合、その論理は親が代弁すれば良いように私は思います。

 空手を習う論理、それは〝強くなりたい〟と思う、強さへの必要性や憧憬などが大半に思います。
 強さへの憧憬などは 3 歳児にもあるかもしれませんが、強さへの必要性を論理立てることは 3 歳児では、なかなか難しいものだと思います。
 「子どもに空手を習わせたい」と思う親御さんの心情には、お子さんに強さの必要性として「強くなって欲しい」と願う部分が多くあると思います。
 「強くなって欲しい」と願う親の子に対する心情は〝強くなければ、今の社会では生きづらい〟などの、自身の体験や社会情勢が反映された論理的なものです。
 それは論理的思考と相まった子を大切に思う親の心であり、その心情から強さの必要性をお子さんに説き、お子さんが空手を習う論理を親が代弁すれば良いように私は思います。

 とは言うものの、3 歳児が親の心情を最初から理解できるものではないと思います。
 最初から理解は出来なくとも、空手を学びながら長い期間をかけて空手を習う論理を親が語りかけ、論理への理解を成長とともに少しずつ高めていけば良いと思います。

 そして、その論理を理解出来るようになる成長は、親の心情を理解することのできる成長にもなると思います。
 空手を通して少しずつ親の心情を理解していくことは、子どもの論理的な思考の発育になると同時に、親子の深い繋がりになると思います。

 空手を習い続けるうちには辛い事もあり、空手が嫌になることもあります。
 空手でも、特に我々の空手は組手、スパーリング ( 自由に技を攻防させる試合、もしくは試合形式の稽古 ) で実際に技を当てるため辛い事がたくさんあります。

 我々の空手を習う前からその辛さを感じるお子さんもいるようで、私の道場では「空手を習いたい」と意気込んで見学、体験稽古に来ても実際の稽古を目の当たりにして入会を断念するお子さんもいます。
 空手の辛い事、特に我々の空手の辛い事は、先のブログでも書きましたが〝No pain, no gain〟「痛みなくして得るものなし」とする我々の空手の真髄であり、そして心身の強さを求めることで生じる我々の空手の論理です。

 「空手をお子さんに習わせたい」と思う親御さんは、親御さん自身が空手の論理を理解し、空手の論理に「空手を習わせたい」とする親としての心情を合致させ、その論理をお子さんに説き、そして説き続けることが、空手におけるお子さんに対しての親の接し方に私は思います。

 子どもは成長ともに、自立していきます。
 子どもの〝自立〟は教育の最大目的とされていますが、親は子どもの自立を妨げずにサポートせねばなりません。
 自立の根幹は意思であり、意思の成熟とともに自立は進んでいきます。
 自立のための意思とは、気分的な勝手気儘なものでなく、論理的思考を伴うものでなければなりません。
 子どもの自立への意思となる論理的思考は、親の子に対する親としての心情を含んだ論理的思考から育まれることが、人から人へと紡がれ、築かれる人の営みとしての理想形に思います。

 空手はその理想を叶える、ベストな媒体の一つになると思います。
 ただ空手がベストな媒体になるには、空手自体が論理的に構成されていなければなりません。
 空手のみならず武道全般、そしてスポーツは指導者によっては、論理性が見られずに封建的である場合もあります。
 いち空手指導者として、私は論理的な空手の指導を心がけたいと思います。
 9.19.2023 記