空手のススメ、徳島の田舎道場から

written by 逢坂祐一郎(新極真会 第8回世界大会 2位)

〝自分は変わる〟ことを認識することのススメ、〝学ぶこととは、変わること〟

 一昨日の日曜日 (9/10) は、全関西大会でした。
 来場者が試合観戦以外にも、色々と大会を楽しめる趣向が凝らされ、またとても立派な会場で行われた大会でした。

 素晴らしい大会に参加させていただき、大会を主催、運営された新極真会大阪東部支部支部長・阪本師範、阪本道場スタッフの皆様、誠にありがとうございました。
 徳島西南支部からはタイセイ君が中 3 男子中量級、ソラト君が中 3 男子重量級で出場。
 二人とも、優勝。

 よく頑張りました !!

 中学 3 年生の二人、我々の空手の学年別で試合が行われるカテゴリーでは、学年が上がるごとに参戦者が少なくなって行くのが現状です。
 それゆえに中学生くらいになるとグンと参加者も減りますが、周りが試合に出なくなっても試合に挑戦する選手は精鋭となってきます。
 参戦者の少ないトーナメントでも、精鋭が参戦したトーナメントでの勝利は大きいものです。
 来年は高校生の二人、これまでのセーフティールールの試合でなく、我々の空手の真価となるルールでの試合に同い年の精鋭達は挑戦しだす年齢になります。

 二人にはさらなる高みを目指して、頑張って欲しいと思います。
 保護者様もお疲れ様でした。

 さて、以前読んだ本によると〝学ぶこととは、変わること〟であるそうです。
 となると学ぶ意欲は、より良く変わる必要性を認識することから生じるように思います。
 本来人間は、生まれてから死を迎えるまで、変わり続けるものです。
 単純な話、子どもは成長とともに身長や体重が変わり続けます。
 子どもの身長や体重の変化は成長期を過ぎれば止まりますが、成長期を過ぎて大人になっても、生活習慣次第では体重は変わります。

 また成長とともに重たいものを持ち上げる腕力、足の速さなどの体力も変わってきます。
 体力は身長、体重と同じく成長とともに高まっていきますが、体力は成長期を過ぎてからも変わっていきます。
 体力は、むしろ成長期以降の方が高まりますが、その変化も人によって差はありますがピークがあります。
 体力はピークを迎えると一定期間はさほどに増減はありませんが、しかしはピークの一定期間を過ぎれば下降します。
 身長や体重は成長期以降も変わらない人もいますが、体力などは誰しもがピークから下降を続け、その下降の終焉が死であるように、ある意味変わることから逃れられない宿命にあるものです。

 人間の変化は身体面のみでなく、頭の働きにも及びます。
 子どもは年齢が幼いほど、物事の見通しが甘いものです。
 子どもは大人の目から見れば「そんなことをすれば、こんな悪い結果になるのに、どうしてするかな ?」といった行動をしますが、物事の見通しの甘さも成長とともに良くなり、成長とともに物事の見通しが効く大人の目を持つようになります。

 大人になれば物事の見通しが効くように、頭の働きも良くなりますが、しかし老いると物忘れが多くなるなどの頭の働きが鈍ります。
 頭の働きも体力同様に、ピークを伴う変わることから逃れらない宿命にあるように思います。
 身長、体重、体力、頭の働きなど人間にまつわる、ほとんどの事、人間そのものと言って良いように思いますが、それらは変わり、変わり続けるものです。

 人間の変化は、必然的であるように思います。
 必然である人間の変化、体重が生活習慣によって増加し体重増加が健康に害を及ぼすように、または生活習慣に注意し一定の体重を維持することで毎日健康に過ごせるように、必然である人間の変化も、向き合い方次第で変化の良し悪しは大きく変わります。
 人間は変化が必然であるゆえに、自分の変化を良い方向へと導くことに努めるべきに思いますが、変化を必然と認識すること、その変化を良い方向に向けることこそが、学ぶ意欲になるように個人的に思います。
 冒頭に書いたように人間は、人間の変化の必然性から〝学ぶ意欲は、より良く変わる必要性を認識することから生じる〟ものと思いますが、その学ぶ意欲を失わせる事象があります。

 その事象は変化にはピークを頂点とした、アップダウンの波があるために起こります。
 人間は変化は体力のように最初はピークに向かって高まっていくものであり、ピーク後は低下する波状であると言えます。
 体の発達としての身長や体重、そして体力は 10 代、20 代と比較的に人生の早い段階でビーク迎えます。
 それに対し頭の働きのピークは中年、もしくは人によっては高年でピークを迎えます。
 〝年の功〟などと言ったりしますが、頭の働きは身長、体重そして体力に比べて長い期間をかけて高まって行きます。
 頭の働きが人生の半分、もしくはもっと長い期間かけて高まっていく事は、本来、頭の働きよりも早くおとずれる、体力の波などから認識することの出来る〝人間の変化の必然性〟を感じながらも、人間の変化のうち一つのことは低下の変化を兆しても、一つのことは向上し続けるため、自身の変化を忘れさせるように思います。
〝人間の変化の必然性〟を忘れてしまえば〝より良く変わる必要性〟も感じなくなり、学ぶ意欲も失わせます。

 このブログを書いている日、48 歳の衆議院議員が受託収賄で逮捕されるニュースが流れてきました。
 逮捕された衆議院議員、国会議員として〝学ぶ意欲〟があれば、逮捕されることは無かったと思います。
 頭の働きが良くなる事は、一概に賢明になることではありません。
 頭の働きが良くなる事は、より良く変わる必要性を認識することから生じる〝学ぶ姿勢〟が伴ってこそ、賢明になるものに思います。
 頭の働きが良くなっても、学ぶ姿勢がなければ、頭の働きの方向性は良くない方向へと働き、逮捕された国会議員のような事態を引き起こすように思います。
 逮捕された国会議員も政治家を志した最初は、逮捕されるような事は頭になかったと思います。
 人間は変化することを忘れ、政治家として学ぶ姿勢を見失ったがため道を誤ったように思います。

 人間は変化の必然性を忘れず、より良く変わる必要性を認識して、より良い変化のために学ぶ姿勢を持たなければならないと思います。
 以前読んだ本に書かれていた〝学ぶこととは、変わること〟からは、そういった視点も個人的に伺えますが、空手を正しく学ぶことは、人間の変化を忘れないための最良の手段の一つになると思います。

 空手の稽古は心身の強さをもたらすものですが、その強さは稽古次第で変わってきます。
 最たる例として、空手は稽古で強くなっても、稽古をしなくなれば弱くなります。
 空手でも特に我々の空手は、組手、スパーリング ( 自由に技を攻防させる試合、もしくは試合形式の稽古 ) で実際に技を当てるため、稽古次第で強さが変わり、人間は変わることを認識しやすいものです。

 〝人間は変わる〟ことを稽古で認識することは、空手を学ぶ大切な意義の一つになると思いますが、空手の指導者として道場生自身に〝自分は変わる〟という認識を与える指導を心掛けたいと思います。
 そして指導者として、自分自身も変わる事を忘れずに、自分の稽古に励みたいと思います。

 < ご案内・新極真会徳島西南支部、道場生、保護者様へ >
 以下のとおり、新極真会徳島北東あわじ支部さんとの合同稽古を行います。
 日時…9/17 ㈰ < 午前 10 時~正午 12 時 >
 場所…鴨島東中学校
 服装…道着、上下着用
 都合の合う道場生の皆さんはご参加ください。

 9.12.2023 記