空手のススメ、徳島の田舎道場から

written by 逢坂祐一郎(新極真会 第8回世界大会 2位)

〝人の気持ちが分かる〟空手のススメ、人の気持ちを考え、感じ、人の視点で捉える

 一昨日の日曜日 (9/24) は第 40 回全中国空手道選手権大会でした。
 コロナ禍により 3 年ぶりに参加させていただいた全中国大会でしたが、同大会は 30 年前の私のブロック大会デビュー戦となった大会であるため思入れのあるの大会です。

 40 周年を迎えた全中国大会、大会の様相は 30 年前とは変わりましたが、途絶えることなく 40 年間開催されてきたことは、偏に新極真会広島支部支部長の大濱師範、大濱道場のスタッフの皆様のご尽力の賜物と思います。
 大濱師範、大濱道場スタッフの皆様、素晴らしい大会に参加させていただきありがとうございました。

 徳島西南支部からトキ君が出場。
 2 回戦での敗退、入賞には至りませんでしたが、課題の一つはクリアーし、よく頑張りました。

 課題はたくんありますが、一つずつの課題をクリアーし、自分の試合の勝ち方を身につけて欲しいと思います。
 保護者様もお疲れ様でした。

 さて、ある学者さんによると、教育で一番に大切にすべきは〝人のことが分かる〟ように教育することであるそうです。
 一概に〝人のこと〟と言っても、例えば〝人の体のこと〟であったり〝人の歴史〟であったり、〝人のこと〟は多岐に及びます。
 ある学者さんによると、今の教育には〝人のことが分かる〟教育が足りないそうですが、多岐に及ぶ〝人のこと〟であっても〝人の気持ちが分かる〟ことが、〝人のことが分かる〟ことにおける基本となるそうです。

 〝人の気持ち〟が分かる教育としては、今の学校では道徳教育が主軸になっていると思います。
 私は人権擁護委員というものを引き受けていますが、その活動のお手伝いとして以前、ある小学校の人権教室に伺いました。
 伺った人権教室では「泣いた赤鬼」という児童文学を、紙芝居にして教材としていました。
 あらすじは以下の通りです。

 〝いつの時代かどこの場所か、村人たちとどうしても仲良くなりたい気のいい赤鬼。だが村人は赤鬼のやさしさがわからず、怖がって逃げまわるばかり。孤独と寂しさに耐えきれなくなった赤鬼は、悩みに悩んだ末、親友の青鬼に相談する。かしこい青鬼は赤鬼のために起死回生の策を授け、計略はまんまと成功。赤鬼は村人たちを自宅に招待し、みんなと心を通わせる。だがその幸せも束の間、赤鬼に思わぬ、そしてあまりにもほろ苦い結末が訪れる……〟

 登場人物 ( 鬼も含めた ) のそれぞれの気持ちを考え、それぞれの気持ちから人権を考えるといった人権教室でしたが、正直「泣いた赤鬼」のストーリーには個人的に突っ込みどころが満載でした。
 例えば、赤鬼は村人と仲良くなりたくて「自分はやさしい鬼です。美味しいお菓子を用意してるので遊びに来てください。」と村人に訴えかけますが、「自分はやさしい」「美味しいお菓子」などと呼びかける人は、実際の社会では胡散臭い何者でもないように思います。

 ストーリーに突っ込みたくなるのは、私が大人としてスレているからであり、スレていない子ども達には適した教材になるのかもしれません。
 しかしスレた大人としての人の見方は、一面〝人のことが分かる〟の深まりでもあります。
 「泣いた赤鬼」が子ども達の人権教育には適した教材であったとしても、教材が実社会の人間模様とは大きくかけ離れている点が、ある学者さんが言うところの、今の教育に〝人のことが分かる〟教育としての足りない部分であるように私は思います。

 ある学者さんは、東大病院の研究者が臨床を「1 年間の懲役だ」と言っているのを耳にして憤慨したそうです。
 東大病院の研究者が、患者に接するのが苦痛、苦役と思っている事に憤慨している訳ですが、東大病院の研究者は医者です。
 医者はそれこそ〝人のことが分かる〟ことに熟知すべき職業ですが、実際に人に接せずに医者であろうとすることをある学者さんは本末転倒としています。

 ある学者さんは〝人のことが分かる〟ことは教育としての最重要項目、そしてあらゆる学問の根幹としています。
 ちなみに、ある学者さんは東大卒の医師です。

 このブログは 9 月に書いていますが、9 月の歴史的大事件といえば、2001 年 9 月 11 日に起きたアメリカ同時多発テロ事件です。
 ある学者さんによるとアメリカ同時多発テロ事件が起きた要因は、イスラム原理主義者は米国のことを、米国はイスラム原理主義者のことを、お互いがお互いを理解しないことに根本があるそうです。
 またアメリカ同時多発テロ事件のような歴史的悲劇のみならず、巷の夫婦喧嘩においても同じことが言えるそうで、〝人のことが分かる〟〝人の気持ちが分かる〟ことは人間関係の全てにおいて最も大切なことであるそうです。

 世界の社会情勢が混沌する今の社会、これからの社会を担っていく子ども達においては〝人のことが分かる〟〝人の気持ち分かる〟教育を高めて行かねばならないように思います。
 ある学者さんは先述のとおり「今の教育には〝人のことが分かる〟教育が足りない」と述べていますが、その足りない部分を埋めていくには、教材を用いた〝人の気持ち分かる〟授業も有効ではあると思いますが、それにプラスαとして〝人のことが分かる〟〝人の気持ちが分かる〟実体験を加えていけば良いように思います。

 空手、特に我々の空手は〝人のことが分かる〟〝人の気持ち分かる〟教育に最適な手段の一つであると思います。
 我々の空手は組手、スパーリング ( 自由に技を攻防させる試合、もしくは試合形式の稽古 ) で実際に技を当てます。

 突き蹴りを本当に当てられると当然痛いですが、自分が痛みを知る事によって、自分以外の他人も突き蹴りを当てられると痛いことを知るようになります。
 私は指導する稽古のスパーリング ( 試合形式の稽古 ) で、子ども達に「相手が泣いてしまったら、そこからは加減をするように」とよく指導しますが、空手の稽古で突き蹴りの痛みを知っている子どもは、幼稚園の道場生でもスパーリングで相手が泣き出すと加減をするようになります。

 教材を使った〝人の気持ちが分かる〟教育は、頭で〝人の気持ちを考える〟教育です。
 空手の組手、スパーリングのような対人稽古は、肌感覚で〝人の気持ちを感じる〟教育になると思います。
 また〝人のことが分かる〟空手の稽古として、私は最近ミット稽古を重視しています。

 ミット稽古はペアで行いますが、例えば右の上段回し蹴りを蹴り込むとして、ミットの持ち手は相手の右の蹴りをミットで受ける場合、自分の左側にミットを構えなくてはなりません。
 私は少年部クラスのミット稽古では「右の上段回し蹴りを蹴ります。」「ミットを持つ人はどこにミットを持ちますか ?」と問いかけます。
 そう問いかけることによって、相手の右は自分の左に位置するもので、相手の視点から見れば自分の左は相手の右となり、同じ位置でも視点が違えば右左逆になるということを道場生の潜在意識に落とし込むことようにしています。
 「視点が違えば同じことでも逆になる」という潜在意識を養うことは、それぞれの視点の存在〝人の視点で人の気持ちを捉える〟教育になるように思います。

 〝人の気持ちを感じる〟〝人の視点で人の気持ちを捉える〟といったことを〝人の気持ちを考える〟教育にプラスαしてけいけば、〝人の気持ちが分かる〟教育は深まっていくように思います。
 空手は総じての〝人のことが分かる〟手段としても適しているように思いますが、指導者として自分自身が空手を通して〝人のことが分かる〟ように努め〝人の気持ち分かる〟ように道場生に指導していきたいと思います。

 9.26.2023 記