昨日(10/3)の美馬道場、
合同クラス、
居残りクラス。
昨日の朝刊に著名な作家による、以下のコラムが掲載されていました。
「子どもは天使でない」「心を育てる難しさ」といった見出しに目が止まり読みましたが、筆者はカエルや虫の命を無邪気に弄んだ自身の幼児体験を通して「子どもは天使でない」としています。
現代の子ども達が文中にあるような遊びをすることはないと思いますが、本質的にいつの時代の子どもにも無邪気さの中に残虐性はあると思います。
また幼稚ながらも打算的に思考し、嘘をつく、といったことは私にも覚えがあります。
〝自分より弱いものに対する思いやり、などという人間的な気持ちは、子供にはない。それは教育によって芽生え、成長するという西欧の思想には、どこか冷酷な真実がある。〟とのくだりには、個人的に大いに納得させられます。
先日のブログで、スパーリングで泣いてしまった幼稚園の道場生を、彼と1・2学年しか変わらない道場生達がヘッドギア越しに頭を撫でで慰めていたことを書きました。
打算などは感じられない光景でしたが、その光景は〝思いやり〟であったように私は感じました。
心を育てることは確かに難しいことですが、その手段は確かに存在します。
その手段の一つは、フルコンタクト空手の組手。
痛みを伴う、という組手の本質からぶれないフルコンタクト空手の組手は、心を育てる教育を担えるものと私は思います。