土曜日の稽古、小学一年生の女子道場生からお手紙をいただきました。
私は道場生に、自分から話しかけコミュニケーションを取るといった事をあまりしません。
自分から話しかけてくれる道場生もいますが、そういった場合無論つっけんどんなことはせず、楽しくお話します。
手紙をくれた道場生とは、普段ほとんどお話しませんが、手紙には話をしない私への空手への思いを綴ってくれたのだと思います。
小学1 年生ながら彼女の空手への主体性が伝わってくる手紙の内容ですが、その主体性が感じられる一言一句が、私にはとても良い文字に思えました。
彼女が黒帯を取るのは、まだまだ遠い先のことになりますが、その時を楽しみに待ちたいと思います。
さてブログでよく書く事ですが、我々の空手は直接突き蹴りを当てるハードなものです。
特に小さい子供のカテゴリーでも、いわゆるKO が認められる試合は厳しいものです。
我々の空手の稽古は必然的にハードで厳しいものとなり、決して楽しいとは言い難いものです。
ハードで厳しく、そして楽しいとは言い難い稽古をなぜするのか?
それは強くなるためです。
空手は強くなるために学び、稽古するものであり、それが本質だと私は思います。
空手で強くなるためには色んな方法があると思いますが、私がこれまでの経験、また見聞したことから断言できることは、ハードで厳しく、楽しくない稽古は、強くなるための稽古の一つであることに間違いはないということです。
ハードで厳しく、楽しくない稽古、そんな稽古を前述の小学1 年生の女の子以外にも主体性を持って取り組んでいる道場生が、私が指導する新極真会徳島西南支部にはいます。
彼ら、彼女らが、なぜハードで厳しく、楽しくない稽古に主体性を持てるのか?
それは彼ら、彼女らが空手の本質、また強くなるために必要なことを理解しているからだと私は思います。
その理解は彼ら、彼女らの人格を構成する聡明さであると思います。
彼ら、彼女らの聡明さは〝強くなりたい〟と思う、純粋さから生じたものと思います。
空手のようなフィジカル的な強さ以外にも、強さには色んな強さがあると思いますが、どんな強さであれ、強さを得るには純粋な気持ちがなければならないと思います。
お話はしなくても稽古への態度を見ていると、道場生の気持ちは分かるものです。
純粋な気持ちを持って稽古にのぞむ道場生に、怒鳴り立てるようなハードで厳しく、楽しくない〝指導〟でなく、理にかなったハードで厳しく、楽しくない〝稽古〟を指導していきたいと思います。
土曜日の鴨島道場
選手クラス1 部(15 時~16 時)
少年部クラス(16 時15 分~17 時15 分)
選手クラス2 部(17 時30 分~19 時)
一般部クラス(19 時15 分~20 時30 分)
居残り稽古(21 時~21 時30 分)
9.6.2021 記