空手のススメ、徳島の田舎道場から

written by 逢坂祐一郎(新極真会 第8回世界大会 2位)

平凡、普通のススメ、平凡、普通の必要条件〝頑張る〟こと

 先週末の 7 月 22 日㈯・23 日㈰の両日は東京体育館にて、カラテドリームフェスティバル 2023 全国大会が開催されました。
 幼年からシニアまでのカテゴリーで、文字通り北海道から沖縄までの全国から選手が集う、実数 2,654 名 がエントリーした同大会は、規模は国内最大、レベルは国内最高峰の一角であるフルコンタクト空手の大会です。

 新極真会徳島西南支部からはミツキちゃん、ハナちゃん、アスマ君、タイシン君、タイセイ君、トキ君、カイト君が出場。

 タイセイ君が全日本中学生空手道選手権大会、中学 3 年生男子中量級で準優勝で入賞しました。
 入賞如何に関わらず、出場した皆んなが今回もかけがえのない経験が積めたと思います。
 素晴らしい大会を開催していただいた新極真会、緑代表をはじめとする実行委員会の皆様、誠にありがとうございました。

 さて先日の徳島新聞で、以下の記事を見かけました。

 新入社員に対する意識調査の記事ですが、見出しにもあるように「平凡な生き方」を求める意識が今の若い人には多いとあります。
 昔の若者は「野望をもって生きる」といった「平凡な生き方」とは、対称的な意識をもった若者が多かったように思います。
 昔の若者に相当する私自身、若者だった当時を振り返るに「野望」を持った同世代の人が多くいたように、また時代も「野望」を持つことが若者らしさとする時代であったように思います。

 私は若者だったころ「野望」を求めることよりも、「平凡」で良いと思っていました。
 なので、今の若者の意識は理解できます。
 しかし記事の後半に記載されている、上司や先輩に期待することの 1 位「丁寧な指導」、2 位「きちんと褒めてくれる」には、はなはだ違和感を感じます。
 1 位の「丁寧な指導」は、まだしも理解できますが、2 位の「きちんと褒めてくれる」ことに関しては、新入社員の最初から自分が上司や先輩から褒めてもらえることが当たり前のように思っている意識を感じます。
 新入社員から褒めてもらえるような能力を発揮できる人は、まず、いないと思います。
 褒めてもらうには、褒めてもらえるだけの能力を身につけることが必要ですが、その前提への理解の欠如も感じたりします。

 近年、優しい社会として〝褒めて伸ばす〟または〝無理に頑張らない〟といった考え方が、優しい社会のあり方の一つのように受け入れられていると思います。
 私も〝褒めて伸ばす〟〝無理に頑張らない〟といったこは、良いことだと思います。
 しかし社会が、そういった考え方一色に染まってしまうことには危惧を以前から感じていました。

 最近、以下の本を読んでいます。

 「どうしても頑張れない人たち」は、以前読んだ「ケーキを切れない非行少年たち」の続編です。
 「ケーキを切れない非行少年たち」では、以前のブログでも書いたように〝少年非行を生み出すことは教育の失敗〟といったことが書かれていました。
 「少年非行が教育の失敗であるならば、少年非行を生み出さない教育が教育の根幹として重要である」と思い、興味深く読ませてもらいましたが、その続編である 「どうしても頑張れない人たち」は、非行少年達に共通する最大の特徴の一つである「頑張れない」ことについて様々なことが書かれています。
 〝少年非行を生み出すことは教育の失敗〟〝頑張れないことが非行少年達の最大の特徴〟であるならば、教育の根幹として具大的に目指すところとしては〝頑張れる子ども達を育てる〟ことにあるように思い、また興味深く読ませてもらっています。

 「ケーキを切れない非行少年たち」そして「どうしても頑張れない人たち」の中では、私の感じていた危惧〝褒めて伸ばす〟〝無理に頑張らない〟に対して警鐘を鳴らしています。
 同書には〝褒めて伸ばす〟ことは確かに有効な手段ですが〝褒めて伸ばす〟ことは、褒めれることだけを伸ばす〝褒めるだけ〟に陥りやすいと書かれています。
 褒めるだけでは褒めれないこと、その人にとっての改めるべきこと、弱点などに向き合わないこととなり、人はむしろ改めるべきことや弱点を克服することで大きな成長を得られるのに、〝褒めるだけ〟では真の成長が得られない、といったことも書かれています。
 また〝無理に頑張らない〟は、精一杯に頑張って、心身ともに疲弊している人にはかけるべき言葉であるけれども、最初からかけるべき言葉でなく、最初から〝無理に頑張らない〟を肯定すると、本当に何も頑張らないようになってしまう、といったことも書かれています。

 私も同書と同じようなことを以前から思っていましたが、上記の新入社員の意識「きちんと褒めてくれる」には〝褒めて伸ばす〟〝無理に頑張らない〟といった優しい社会とされる時代の考え方が色濃く反映されているように思い、違和感ともに危惧を個人的に感じるものです。
 上記に書いたように一応の理解が出来る新入社員の意識、上司、先輩の「丁寧な指導」ですが、これも穿ってみれば、自分には〝褒めて伸ばす〟〝無理に頑張らない〟優しい対応を求めるのに、上司や先輩には自分に対し丁寧でなければならないことを求めるような、自分には甘く、人には厳しいといったことが見え隠れし、余計に危惧を募らせます。
 個人的には、新聞記事に掲載されている新入社員の意識の奥底には〝頑張らない〟ことを平凡とするような意識を感じます。

 〝平凡〟は〝普通〟と言えるものに思います。
 社会における普通には、普通に法律を守る、普通に納税をするなどの義務が生じます。
 社会における〝普通の義務〟を果たすには、時として〝頑張る〟ことが必要となる場面があります。

 納税の義務を果たすには働かなければなりませんが、都会の普通の人であるならば会社に行くために毎日満員電車に乗ることを頑張らなければならず、田舎の普通の人であるならば道路の渋滞を避けるために、道路の空いている時間帯に通勤するよう早起きを頑張らなくてはなりません。
 普通、平凡であっても社会人として生きていくには義務が生じ、その義務を果たすために人は何かしらを頑張らなければなりません。
 〝頑張る〟ことは、社会人であるための、必要条件であると思います。
 上記のような観点からも〝頑張れる子ども達を育てる〟ことは、教育の根幹として具大的に目指すことの一つに思います。

 我々の空手の組手・スパーリング ( 自由に技を攻防させる試合、もしくは試合形式の稽古 ) は、実際に突き・蹴りを当てる厳しいものです。
 我々の空手は、頑張らなければ出来ない空手です。

 ゆえに、人の〝頑張る〟ことを高めるには、最高の手段の一つと言えると思います。
 空手で〝頑張る〟ことは稽古など、様々なシーンがありますが、我々の空手の大会は空手で〝頑張る〟ことのシーンとしては、格別な頑張りが求められます。
 その格別な頑張りは大会の規模が大きく、レベルが高いものであれば、より格別なものとなりますが、カラテドリームフェスティバル 2023 全国大会、出場した道場生の皆んな、よく頑張りました !!

 今回の頑張りで得た経験を糧に〝頑張ることを普通とする〟平凡でも正しい社会人に成長して行って欲しいと思います。

 保護者の皆様も、お疲れ様でした。
 お子さんの頑張りは、保護者の皆様のサポートの頑張りがあってものです。
 〝頑張り〟と〝頑張り〟は共鳴するものと思います。

 これからも、空手におけるお子さんのサポートをよろしくお願い致します。
 また新極真会徳島西南支部は、子ども達の〝頑張り〟を育む空手道場を目指して参りますが、引き続きのご理解もよろしくお願い致します。
 7.25.2023 記