空手のススメ、徳島の田舎道場から

written by 逢坂祐一郎(新極真会 第8回世界大会 2位)

〝脱〟田舎者のススメ、空手で身に付ける謙虚さ

 先週の金曜日 (3/15)~日曜日 (3/17)、山梨県にて新極真会 U-22 強化合宿で開催されました。

 同合宿は新極真会の 22 歳以下の有望選手が全国から結集し行われる合宿で、徳島西南支部からはトキ君が選手として、私はオブザーバーとして参加しました。
 全日本トップクラスが参加する同合宿、組手が中心の合宿メニューの中でトップ選手、強豪選手との組手でボロ雑巾のようになりながらも、トキ君、よく頑張りました。
 お世辞抜きでボロボロになりながも、気持ちと技術の向上が見られました。

 この経験を 4 月の四国大会、そしてこれまでの空手人生の集大成となる 5 月の JFKO 全日本大会に活かして欲しいと思います。
 トキ君、お疲れ様でした。
 保護者様も合宿に、ご理解いただきありがとうございました。

 そして道場生が所属道場だけでは出来ない成長に繋がる稽古の機会を与えていただいた、新極真会・緑代表をはじめとする U-22 強化合宿に携わった皆様、素晴らしい合宿を誠にありがとうございました。
 私は新極真会支部長として、引き続き U-22 強化合宿に参加できるような選手育成を徳島で頑張っていきたいと思います。

 さて話は変わりますが、最近読んだ小説の一文に「都会人らしい節度…」との表現がありました。
 小説の主題とは何の関係もない一文で、単なる小説の一場面の描写でしたが、私にはこの一文が深く心に残りました。
 〝都会人らしい節度〟その対義的意味をうかがえば、〝田舎者の節度の無さ〟といったことが、個人的に思い浮かびます。

 私が読んだ小説の作者は〝田舎者の節度の無さ〟といったことは、夢想だにもせず上記の一文を綴ったと思いますが、私は〝都会人らしい節度〟から勝手に連想する〝田舎者の節度の無さ〟には、大いに得心するものであり、そのため上記の一文が深く心に残りました。

 〝節度〟を改めて調べると「度を越さない、適当なほどあい」とあります。
 〝節度〟の対義的意味合いの一つは〝傲慢〟であると思います。

 以前のブログで「夜郎自大」という、ことわざについて書きました。
 「夜郎自大」のことわざとしての意味は「自分の力量を知らない人間が、仲間の中で大きな顔をしていい気になっていること」であり、人の傲慢な様を示すものです。

 また「夜郎自大」の由来は、以下のとおりです。
 「夜郎」は中国、漢の時代の西南の地にあった未開部族の国の名。
  「自大」は自らいばり、尊大な態度をとること。
  漢帝国の大きさを知らない夜郎国の王は、自国に漢の使いが来たとき、自国のみが大国だと思い込んで、「わが国と漢とではどちらが大きいのか」と尋ねたという故事から。

 〝夜郎〟は田舎者と捉えることが出来ますが、田舎者が傲慢であることは国を超えて故事になるくらいの様々な民族の共通の風俗であり、そういった風俗が長い歴史の中で自然と〝都会人らしい節度〟といった対義的な通俗を人々の潜在意識に植えつけたように思います。

 田舎者の傲慢さは単なる昔の風俗でなく、今でも田舎で連綿と息づいています。
 私が住む徳島県の美馬地域はいわゆる田舎ですが、「あいつはダメだ」などと、有名な野球選手の成績不振をこき下ろすような会話が日常生活でよく聞こえてきます。
 そんな会話を聞くたびに、私は「自分はこき下ろす野球選手ほどに、野球は出来ないだろうに…」などと思い、へきえきとします。
 田舎は何事にも遅れ、停滞していますが、その最大の要因は田舎の人間の傲慢さにあるように私は思います。
 傲慢な田舎の風俗は改めるべきに、私は私自身が田舎に住む田舎者だからこそ思います。

 傲慢を改めるには、節度と同じく傲慢の対義である〝謙虚〟を身に付けることが必要と思います。
 謙虚を身に付ける一つの手段は、夜郎自大のことわざの意味や由来を鑑みるに〝広い世界を知り、自分の力量を知る〟ような経験を重ねることが有効に思います。

 先々週の JFKO 全日本青少年大会、先週の新極真会 U-22 全国強化合宿、参加した道場生は、全国の強豪選手にまみえることで〝広い世界を知り、自分の力量を知る〟経験を得たと思います。

 空手道場は、田舎にあっても謙虚さが身につく場所です。
 稽古そのもので、また稽古に付随する試合や合宿などで、謙虚さが身につく経験を空手道場は提供できます。
 〝広い世界を知り、自分の力量を知る〟その経験から得る謙虚さは、総じて人にまみえ、そして人に揉まれて得るものに思います。
 空手であっても、特に我々の空手は実際に突き・蹴りの技を当てる組手を行うために、我々の空手で人にまみえて得る謙虚さは形而下的であり、形而上的な単なる美徳に止まりません。

 実際に突き・蹴り当てる我々の空手の組手には、恐怖が付きまといます。
 我々の空手の組手の恐怖は、組手の相手に対してのものであり、人にまみえて感じる恐怖ですが、礼法にのっとる空手の組手で感じる人への恐怖は、人への畏敬と転化できるものです。
 礼法のもと、人への恐怖を人への畏敬へと転化できた時、その人の強さを認めることができます。

 人の強さを認めることが出来れば、そこから〝学び〟を得ることができます。
 〝学び〟は空手においては、学びを得たものの〝気持ち〟や〝技〟として組手で表出されます。
 我々の空手では、組手の恐怖を畏敬へと転化することで謙虚さを身につけますが、我々の空手の謙虚さは〝学び〟そして〝気持ち〟や〝技〟という形而下的な結実を実らせます。

 私は田舎に住む田舎者として、田舎者の最大の悪癖である傲慢さを改めたいと思っていますが、私は空手の指導者として、我々の空手の謙虚さの身に付け方を、我々の空手を田舎で普及させることで発信していきたいと思います。

 < ご案内 >【新極真会徳島西南支部、道場生・保護者様対象】
 明日の水曜日 (3/20) は祝日で鴨島道場の稽古はお休みですが、以下の通り支部内強化稽古を行います。
 場所…鴨島道場 時間…9 時~12 時 服装…自由
 道場生ならば、誰でも参加可能です。
 今回は誰でも参加出が出来き、かつ十分に稽古が出来るように時間をいつもより長めに設定しました。 
 稽古内容は組手の選手稽古となりますが、各自のレベルに応じてメニューなども変えたいと思います。
 都合の良い道場生は、ぜひ参加してください。

 3.19.2024 記