空手のススメ、徳島の田舎道場から

written by 逢坂祐一郎(新極真会 第8回世界大会 2位)

稽古に従属することのススメ、従属から自立を育む

 先週末の土曜日(6/22)、新極真会山東支部さんへカイト君、ハナちゃん、ミツキちゃんが出稽古に行かせてもらいました。

 とても実りのある稽古をご指導していただいたようですが、石原師範、石原道場の皆さん、ありがとうございました。
 カイト君、ハナちゃん、ミツキちゃん出稽古の成果をDF2024で発揮できるように頑張ろう!!
 保護者様も付き添い、お疲れさまでした。

 一昨日の日曜日(6/23)は、愛媛県西条市にて四国・岡山合同稽古でした。

 毎回、四国・岡山合同稽古を開催、準備してくださる新極真会三好道場、三好師範、野本師範代、近藤先生、今回もありがとうございました。
 今回の合同稽古も参加した道場生には、学びの多い稽古となりましたが、合同稽古の学びが成果となるように支部での稽古指導に注力したいと思います。

 参加した道場生の皆さん、お疲れ様でした。
 保護者の皆様も長時間の付き添い、お疲れ様でした。

 さて、私は少年部クラスでの指導時に「空手の稽古の時は、先生(私)の言った通りに稽古しなさい。」「逆に言っていない、余計なことはしない。」などとよく口にします。
 聞きようによっては、子ども達に強権的に従属を強いる、非常に高圧的な口ぶりと思います。

 しかし、私としては「私、個人に従いなさい。」というよりも「私が指導する空手の稽古、そのものに従いなさい。」と意味合いで上記のような言葉を口にしています。
 その意味合いの理解を深めるために、時に「先生が指導している稽古は、先生が教わった正しい空手の稽古です。」「稽古に従いなさい。」などと付け加え、私個人への従属ではなく、空手の稽古そのものへの従属意識を道場生に持たせるように努めています。

 新極真会徳島西南支部では、少年部道場生、子どもが空手を学ぶ主要な意義の一つに〝教育〟を掲げています。
 教育における体育メソッドとして武道空手の心・技・体を教授し、社会で望まれる子どもの成長への寄与を標榜しています。

 以前のブログでも書きましたが、社会的に子どもの教育の最大目標は〝自立〟とされています。
 子どもが体育メソッドとしての空手を学ぶうえで、子どもの〝自立〟は空手で身に付く心・技・体のそれぞれに付随して確立していくものと思います。
 教育としての〝自立〟とは「自分の判断で正しく身を立てていく」といったことと思います。
 空手で身に付ける心・技・体のうち〝心〟は「自分の判断」、〝技〟と〝体〟は「正しく身を立てる社会的スキル(礼法など)、社会的体力(健康)」を育むものと思います。

 「武道としての空手の稽古は、子どもの自立に繋がるもの」と個人的に思いますが、そのためには子ども達の指導者に対してではなく、稽古そのものへの従属が必要と個人的に思います。

 〝従属〟から〝自立〟を育む。

 一見、従属と自立は意味合い的に相反するものですが、従属は自立を育む土壌となるものに思います。
 武道空手において、稽古への従属は〝学び〟となります。
学びは単なる物事の記憶に止まらず、学びに対して熱心になるほどに探究心として、学んでいる事が正しいかどうかを〝自ら見立てる意識〟を芽生えさせます。

 〝従属〟→〝学び〟→〝自ら見立てる意識〟の変遷が〝自立〟を育み、稽古への従属で身に付ける心・技・体によって、社会的な〝自立〟は空手を学ぶ子ども達において確立されるものと思います。
 〝教育〟を空手を学ぶ意義に掲げる新極真会徳島西南支部においては、子ども達の稽古への従属を指導方針の根幹とするものですが、そのためには従属させる稽古が正しいものでなければなりません。
 正しい稽古は、指導者によって様々に定義付けられるものと思います。


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 新極真会徳島西南支部では支部長としての私自身がこれまで教わった事、そして研究してきた事を自身の組手(スパーリング)稽古で検証しながら〝正しい稽古〟を常に模索し、それを道場生に教授していきたいと思います。

 6.25.2024 記