先週のスパーリング、私の放った前蹴りを道場生が見事に膝でカット。
不用意な前蹴りだったのでカットの当たりどころが悪く、私は足の親指の付け根を負傷しました。
自分の不注意による負傷でしたが、負傷した瞬間は激痛が走り、一瞬「折れたか」と思いました。
幸い大事にいたらず、負傷したことも悟れないように ( 悟られたかもしれませんが ) 平然とそのスパーリングを続け、その後の予定していたラウンドも全て消化しました。
大事には至らなかった負傷ですが、スパーリング後は軽くびっこを引く状態で、数日は痛みとともに不自由な思いをしました。
普通、スパーリング中に負傷すればスパーリングを中断し安静にすべきです。
道場生のスパーリング中の負傷に対しては、スパーリングを中断させ安静にするように私も指導しています。
しかし私は自分が負傷した場合、よほどの怪我でない限り ( というか、私の記憶の中でこれまでのスパーリングで中断したことはありませんが ) 中断しません。
過去には上段膝蹴りを相手にダメージを与えないように蹴ったところ、飛んで蹴った後の軸足が宙に浮いている状態で軸足を払われ、足裏の足刀部分の骨にヒビが入ったこともあります。
その時も様相は平然を装いましたが、足の痛みは平然を装えず、足を引きずりながらスパーリングを続け、最後まで中断することはありませんでした。
足裏のヒビは普通、重度といってもよい怪我ですが、なぜ私はスパーリングを中断しなかったのか ?
私がスパーリングを中断しない理由の一つは、試合への意識でした。
その意識とは「試合中、負傷しダメージを露わにしてしまえば試合は判定で負ける、または相手選手にダメージ部分を狙われて試合中に最悪は倒されてしまう」といったものです。
また「怪我をしても戦えるように」といった意識、また「怪我をしても避けられない戦いに対しての逃げない気持ちを養う」といった意識もありました。
「怪我をしても」との意識は試合を超えた部分でもありますが、試合への意識はまだしも、試合を超えての意識、避けれない戦い状況などは、そうそうに起こらない平和な日本の日常感覚から言えば逸脱したものであり、単なる〝やせ我慢〟と揶揄されるものかもしれません。
〝武士は食わねど高楊枝 〟という言葉があります。
改めて意味を調べると「武士は貧しい境遇にあってお腹がすいていても、まるでお腹がいっぱいのように楊枝を高々とくわえて見せておかなければいけない 」とあり、現代ではやせ我慢の意味合いが強いものです。
ネットでさらに調べると
〝江戸時代の武士の多くは、今でいう政府や役所の役人であり、彼らの多くは私利私欲に走ることなく世の中のため、国家のために働いていました。
特に、江戸時代も後半になってくると、武士より商人のほうが経済的には裕福だった時期もでてきます。
そんな時代でも為政者としての武士は倫理規範として、無私の奉仕、誠実な生き様を示すことを心掛けていました。〟
と以上の説明にヒットしました。
「武士は食わねど高楊枝」という言葉は、本来は「貧しい環境であったとしても、表にはそれを出さずに気品高く生きていくべきである」という武士の美徳を表しているそうです。
現代では愚かさや滑稽味を帯びた言葉となっていますが、しかし「武士は食わねど高楊枝」は〝やせ我慢〟としての武士としての美徳、そして美意識であったようです。
一万円札で有名な、幕末から明治期の日本の啓蒙思想家、教育家である福澤諭吉の著書に「痩我慢 ( やせがまん ) の説」というものがあります。
福澤諭吉によると敵に対して勝算がない場合でも、武士が主君、主家のために力の限り抵抗することは〝痩我慢の情〟であり、「痩我慢の説」では明治時代の前時代である江戸時代の徳川幕府に仕えておきながら、明治政府にも仕えた顕官を痩我慢の情がないものと批判しました。
また同書では「痩我慢は士風の美であり、士風の維持(=痩我慢)は万世の要なり」と書かれているそうです。
福澤諭吉の著書では「学問のススメ」が最も有名に思いますが、「学問のススメ」では江戸時代のような封建体制を否定し、人間の自由平等、独立の思想に基づいての民主主義を提唱しています。
士風=武士道であり、武士道は封建体制の産物です。
福澤諭吉は封建体制を否定し民主主義を提唱しましたが、封建体制の産物である士風=武士道は〝万世の要〟と説いています。
私は〝福沢諭吉〟〝痩我慢の説〟〝学問のススメ〟などは、教科書で習ったワードをネットで調べて、その概略の一部をわずかに知った程度の浅学ですが、福澤諭吉が封建体制を否定しながら士風=武士道を尊んだのは、外国の思想である民主主義を日本の気風に合ったものとするためのように感じます。
士風=武士道は日本人の全体の気風であり、その気風の元に日本の民主主義を開花させたかったように思います。
ブログでしつこく書いていますが、私は武道は武士道と思っています。
となると武道は士風でもありますが、私のように一見滑稽で、愚かに、負傷をしてもやせ我慢でスパーリングを続けることは、士風にならう武道の心構えと弁明できるものかと思います。
やせ我慢のスパーリング、今後も身体の許容範囲を超えない限り、続けて行きたいと思います。
ところで私には痛風の気があり、過去に 3 度発症しています。
代表的な痛風の発症場所は足の親指の付け根ですが、私の過去の痛風の発症も足の親指の付け根であり、そこを強打し負傷したことが発症原因となりました。
今回の負傷も痛風にならないか、負傷した夜は帰宅後にビールを飲みながら恐れていました。
幸い発症しませんでしたが、痛風はなった人しか分からないと思いますが、痛風はまさに風が発症場所に当たったぐらいでも、骨折したように感じるぐらい痛いものです。
痛風はすぐに治るものではありませんが、過去に発症した時もやせ我慢でスパーリングをしていました。
痛風でのスパーリングは、その痛みゆえにやせ我慢の度合いが高く、その点、大いに士風を高めるものもしれません。
しかし、さすがに痛風でのスパーリングは、もう経験したくありません。
どうすれば痛風を避けられるのか、ビールを飲みながら考えて行きたいと思います。
< ご案内・道場生対象 >
4/16 ㈰に行われる第 40 回全四国空手道選手権大会の支部内締め切りは、今週の金曜日 3/3 となっています。
出場予定で申込書と申込料が未提出な道場生は、お忘れなきようにお願い致します。
3.1.2023 記