空手のススメ、徳島の田舎道場から

written by 逢坂祐一郎(新極真会 第8回世界大会 2位)

 〝これまでの自分〟と〝これからの自分〟を分かつ、分岐点、背中を見せても再び前を向くことのススメ

 連休中の金曜日 (5/3) は支部内強化稽古でした。

 3 時間の長時間でハードな稽古でしたが、参加した道場生の皆んな、お疲れさまでした。

 また一昨日の月曜日 (5/6) は、愛媛県新居浜市で四国・岡山合同稽古でした。
 参加した道場生には有意義な稽古となりましたが、四国・岡山合同稽古を主宰、準備してくださる新極真会高知・愛媛支部支部長・三好師範、野本師範代、近藤先生、今回も誠にありがとうございました。

 参加した道場生の皆んな、よく頑張りました。
 四国・岡山合同稽古で学んだことを、今後の試合、稽古に活かしていきましょう !!
 同行の保護者の皆様も、お疲れさまでした。


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 さて、上の添付動画は、先日の道場生の試合。
 序盤、中盤は攻勢を見せるも、終盤は一方的な敗勢に追い込まれての敗戦でした。
 はるかに格上選手との対戦であり、一方的な展開での敗退は当然の結果ですが、当初から圧倒的な実力差が予見される対戦の中で、私は内容的には良い試合をしたように思います。
 試合内容で良かったと思う展開は、攻勢を見せた序盤、中盤よりも、私個人は一方的な敗勢展開となった終盤にあります。

 下の添付動画は丁度、10 ヶ月前の彼の試合。


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 試合序盤での、いわゆる KO である 1 本負け。
 しかも、対戦相手に背中を見せての敗戦です。

 私は武道とは、武士道と認識していますが、武士道においては敵に背中を見せることは〝恥辱〟とされます。
 武道としての空手の試合において、対戦相手に背中に見せることは、武士道においての〝恥辱〟と少し意味合いが違ってきますが、それでも武道精神においては〝屈辱〟と評されてしかるべき敗戦です。

 10 ヶ月前の試合では、彼自身が一番、屈辱を感じていました。
 10 ヶ月前の試合と今回の試合では、序盤と終盤の違いはあれ、同じように一方的な敗勢に追い込まています。
 しかし今回の彼は、対戦相手に背中を見せませんでした。
 私が今回の彼の試合で一番良かった思う点は、敗勢の中で背中を見せなかった彼の闘志です。

 今回の試合は私もセコンドについていましたが、終盤の敗勢の中で、従来の彼であれば背中を見せるような強打の被弾が何度かありました。
 その被弾のたびに「また、背中を見せるのでは…」といった不安がセコンド中に脳裡によぎりましたが、場外に押し出されても彼は試合終了の時間まで、対戦相手に向き合っていました。

 彼が対戦相手に背中を見せることは、10 ヶ月前の試合だけでなく、これまでの強豪選手との稽古スパーリングの中でも、何度もありました。
 試合、稽古で強豪選手に背中を見せてしまうことは、彼が空手を通して自分を見据えた時に見えてくる、彼自身の一番の課題となるものです。
 今回の試合で背中を見せなかったことは、その課題を一つ克服したものと、私は思います。

 試合後は、今回の敗戦を悔しがっていたそうですが、その悔しさは、これまでの武道精神、武士道精神にもとる〝恥辱〟〝屈辱〟とは全く異質のものです。
 今回の悔しさは〝これまでの自分〟と〝これからの自分〟を分かつ、分岐点となるものです。
 今回の彼の悔しさに対し、私は指導者として〝これまでの彼〟には「良く、頑張った」と思う心情ですが、分岐点として〝これからの彼〟には「その悔しさを、これからの試合で払拭しろ」と、さらなる成長を期して叱咤するものです。

 以前のブログで「これからの自分が、これまでの自分を決める」との言葉を引用しましたが、人は〝恥辱〟〝屈辱〟など、どんなに情けない思いをしても、それを払拭できるものです。

 〝恥辱〟〝屈辱〟などの情けない自分への思いは、それを払拭せねば、ずっと自分の人生の影となるものです。
 しかし、情けない自分への思いを払拭できた時、かつての〝恥辱〟〝屈辱〟などは、成長などに通じる福音と出来るものです。
 かつての情けない自分への思いを福音とするには〝これまでの自分〟と〝これからの自分〟を分かつ、分岐点を持つことが必要ですが、そのためには、打ちのめされ背中を見せても、再び前を向かなければなりません。

 背中を見せても再び前を向き、そして情けない自分への思いを抱えながらも、ずっと前を向き続けることで「あのような情けない思いをしたから、今の自分がある」と思える、情けない〝これまで〟を福音に感じる〝これから〟への分岐点は訪れると、私は思います。

 一つの成長は、一つの自分への自信ともなりますが、一つの成長と自信は、さらなる成長と自信へと繋がっていくものと思います。
 今回の試合で、彼は〝前を向く姿勢〟を示しました。
 それは分岐点として、彼に一つの成長をもたらしました。
 彼には、今回の悔しさを再び福音とすべく〝これからの自分〟に向かって、さらに前を向いて歩んでいって欲しいと思います。

 そして試合当日、たくさんの新極真会徳島西南支部の道場生が応援をしながら彼の姿を見ていましたが、応援をしていた道場生には、彼の〝前を向く姿勢〟を目に留め、自分が背中を見せるようなことに遭遇しても、再び前を向く気持ちと姿勢を身に付けるべく、空手の稽古に励んで欲しいと思います。

 また、よくブログで書くことですが、空手、特に我々の空手は厳しい武道です。

 しかし、厳しいゆえの意義があります。
 今回のような厳しさがもたらす〝これまでの自分〟と〝これからの自分〟を分かつ、分岐点などは、我々の空手の大いなる意義に思います。
 指導者として、我々の空手の意義を全うする稽古指導を心掛けたいと思います。

 5.7.2024 記