一昨日の日曜日 (4/4) は、昇級審査会及び新極真会徳島北東あわじ支部さんとの徳島合同稽古でした。
参加された皆さん、お疲れ様でした。
また保護者の皆様も、お疲れ様でした。
次の徳島合同稽古は以下の通りです。
4/7 ㈮…徳島県立中央武道館・柔道場にて 18 時 45 分~20 時 45 分 < 途中参加も OK>
道着着用にて、同日の徳島市加茂道場は徳島合同稽古に代替しての休講です。
初心者向けのミット稽古も行いますので、道場生はどなたでもご参加ください。
参加できる道場生の皆さんは、頑張りましょう !!
さて SNS で色んな空手を知ることのできる昨今、空手諸流派は SNS で盛んに自流をピーアール
SNS で自流を
私もブログで空手について綴り、自分の教える空手を
確かに空手には、楽しいことがたくさんあるもので、「空手は楽しい」と
また当時は〝楽しい空手〟とは真逆のイメージを醸す〝強い空手〟を
〝楽しい空手〟と
スポーツライクな空手は、今の時代に求められている空手であり、また必要とされている空手かもしれません。
私も時折、空手指導者として、ゆとり教育以後の人たちによるスポーツライクな空手の需要性を感じたりします。
空手においてスポーツライク化が行き過ぎると、空手の本質は見失われると思います。
上記の選手は、我々の空手とは違う空手では一流の選手です。
空手の突きは、素手で人体を打つ技です。
鍛えていない素手の拳で人体を打つと拳を痛めるもので、空手は素手の拳を鍛える必要があります。
昔からの空手の象徴の一つである巻藁打ちなどは、拳を鍛える目的が強いもので、同じく空手の象徴の一つである板や瓦の試し割りは、拳の強度を含めた突き威力を試す ことが本来の目的です。
上記の、我々の空手とは違う空手の一流選手の発信には〝空手では拳は鍛えるもの〟との、空手における本質の一つが感じられません。
本質から外れた空手の技など、私は虚飾に思います。 虚飾にまみれた空手は虚構に思います。
その違いを混同すると、武道は虚飾、虚構に陥ります。
虚飾、虚構は人を偽るものですが、虚飾、虚構の武道が、疑問をいだくような技を得意げに披露するさまが、昨今の SNS ではよく見かけます。
「突きを強くするには、少々は手を痛める、痛い思いをすることはやむ得ない」といった本質を見失わない空手を、新極真会徳島西南支部では指導していきたいと思います。
4.4.2023 記