空手のススメ、徳島の田舎道場から

written by 逢坂祐一郎(新極真会 第8回世界大会 2位)

アスリートのススメ、武道精神、スポーツの精神を包括するアスリートの精神

 先週の金曜日 (5/19) から昨日の月曜日 (5/22) まで、JFKO 全日本大会 (5/20・5/21 開催 ) 関連に伴う大阪出張でした。
 私は審判業務に従事しましたが、JFKO 全日本大会は体重別のフルコンタクト空手の大会では国内最高峰の大会です。

 審判の業務の役得で、選手の皆さんの戦いぶりを間近で見ることができましたが、選手の皆さんの健闘には感銘を受けました。
 選手の皆さん、お疲れ様でした。
 また素晴らしい戦いを披露してくださり、ありがとうございました。

 そして JFKO 全日本大会の開催にあたり、大会実行委員長の緑 JFKO 代表理事をはじめとする実行委員各位の皆様、スポンサーの皆様、素晴らしい大会をありがとうございました。
 新極真会徳島西南支部では、同大会で活躍できる選手を輩出すべく、今日からまた頑張っていきたいと思います。

 さて、ブログでよく書くことですが、私は武道とスポーツは精神的本質が違うものと思っています。
 スポーツの語源が、ラテン語の「deportare デポルターレ」「荷を担わない、働かない」という意味の言葉にあり、それが古フランス語の「desporter」「(仕事や義務でない)気晴らしをする、楽しむ」となり、英語の「sport」になったと考えられていることから、スポーツの精神的本質は「楽しむ」ことにあると思います。

 一方武道は、私は武道を武士道と思っていますが、武士は昔の人の身分や職業であったことから、スポーツの語源とは対極的に仕事、義務的なニュアンスを持つ「すべき」ことが武道の精神的に本質に思います。

 武道とスポーツは、現代では混同されています。
 以前のブログで書きましたが、指導者による暴力など、混同による弊害があり、私は武道とスポーツの精神的本質の違いは、もっと明確に社会が認識すべきに思います。
 しかし混同される理由となる両者の共通点には、武道とスポーツの両者に取り組むものにとって有益な面もあり、共通点においては大いに促進されるべきに思います。
 武道とスポーツが混同される理由、そして共通点、それは両者にあって行われる〝競技〟です。

 現代は、競技そのものがスポーツと解釈されています。
 しかし本来、競技とスポーツでは、これもまた精神的本質が違います。
 その違いも、語源から読み取れます。
 英語で競技は、competition ( コンペティション)と訳されます。
 由来はラテン語の competitio(競争 ) にあるそうです。
 また競技はギリシャ語においては áthlos ( アスロス)とされ、áthlos ( アスロス)からは一般的に〝競技者〟を意味する言葉である〝アスリート〟が派生しています。
 アスリートを詳しく調べてみると「スポーツや、他の身体運動に習熟している人。スポーツや、身体的強さや俊敏性やスタミナを要求されるゲームについて、トレーニングを積んだり、技に優れている人のこと。」とあります。
 以上のことから、スボーツの精神的本質が「楽しむ」ことにあるのに対し、競技の精神的本質は「身体運動への習熟」と解釈することができると思います。

 武道とスポーツは競技に取り組み、その精神的本質である「身体運動への習熟」を高めることで、同時に武道とスポーツ両者の本来独自の精神的本質も満たされると思います。
 スポーツにおいては、身体運動を習熟することで得られる高い競技技術は、運動することへの「楽しみ」となります。
 また武道においては、身体運動を習熟することで得られる高い競技技術は、〝強さ〟となり、武道としての〝強さ〟は〝優しさ〟となるものであり、〝優しさ〟は人が〝持つべき〟心情となります。

 武道、スポーツとも、両者の精神的本質を満たすべく、共通項となる競技には大いに取り組むべきに、私は思います。
 その取り組みは武道、スポーツの精神的な概念をも包括する、アスリートを生成するものに思います。
 「楽しむ」ことで精神的な健康を得られるアスリート、強くなることで人として「持つべき心」を得られるアスリート、アスリートは社会の豊かさにも繋がる概念に思います。
 武道に取り組む人、スポーツに取り組む人、両者とも両者の理想を包括するアスリートたらんことを目指すべきかと思います。
 新極真会徳島西南支部では、武道の精神的本質を追求する手段の一つとして、競技を促進し、武道家、そしてアスリートを輩出できる道場を標榜したいと思います。

 さて私事ですが、2 週間ほど前に膝の古傷が悪化し、歩行が困難になり、正座もできなくなりました。
 現在、何とか回復し、どうにかスパーリングができるようになりました。


www.youtube.com

 私の古傷は、長い競技生活で抱えたものです。
 長い競技生活には、障害を伴うリスクがあります。
 しかし、長い競技生活で得た競技の精神的本質である「身体運動への習熟」は、身体がままならない障害を克服しようとする身体操作の工夫、そして何よりも障害を克服する意欲となります。
 ここ 2 週間、スパーリングが再開出来るようになるためのストレッチ方法を研究したり、膝への負担を軽減するためのスパーリング方法、そのためのフィジカル強化を考えたりしてきました。
 膝が悪化してもスパーリングを諦めなかったことに関しては、手前味噌ながら競技生活で培ったアスリートの精神的本質が反映したように思います。
 今は何とか障害を克服出来ても、いつかは色んなことが重なりスパーリングが出来なくなる日を迎えると思います。
 しかしスパーリングが出来なくなるまで、スパーリングは諦めないようにしたいと思います。

 ブランクはありますが、約 20 年間の競技者生活、その間に得たアスリートとしての心を全うしたいと思います。
5.23.2023 記