空手のススメ、徳島の田舎道場から

written by 逢坂祐一郎(新極真会 第8回世界大会 2位)

 本来の礼法のススメ、礼法の 3 つの要諦

 小笠原流礼法というものが日本の生活様式での礼法の源流となっていることは以前から知っていましたが、小笠原流礼法の正式名称の一つが小笠原流馬術礼法であり、武技・武芸である弓術、馬術の修練のエッセンスを日常生活の所作に取り入れ、礼法としていることを最近読んだ本によって知りました。

 「礼法」は〝礼の仕方〟として礼儀、礼節と並び、たいていの人が聞き覚えのある言葉だと思います。
 インターネットで礼法を改めて調べてみると、以下の内容が出てきます。

 礼法(れいほう)とは、日本において望ましいとされる行動様式や心構えを指す言葉である。 
 礼法は歴史上、様々な変遷を遂げており、敗戦直後までは小笠原流礼法が大きな影響を与えていた。 
 現代ではエチケットやマナーと混同されることが多い。

 また以下の一文も出てきます。

 敗戦後、礼法は弱体化し、洋風のエチケットやマナーが支配的となった。
 これ以降、礼法はエチケットやマナーと混同され、消費主義や商業主義と結びついた流行に留まるとする指摘がある。

 私は昔から心としての礼は大切であると思っていましたが、従来のイメージで持っていた教条的、権威的な行動様式としての礼法には正直なところ違和感を感じていました。

 礼の心は受け入れるのに、なぜ礼法に対しては違和感を覚えるのか ?
 長年、自分の中で整理が付いていませんでしたが、礼法の本来を知り整理が付いたように思います。

 私が従来イメージの礼法に違和感を覚えていたのは、礼法の本来が上記のように現代においては違っている面が多々あるからですが、最近読んだ本によると礼法の本来の源流、小笠原流馬術礼法の要諦は、以下の3 点であるとされています。

 1.「他者意識」
 2.「効率性の重視」
 3.「状況に合わせた判断」

 また「伝統的な「礼法」は現代人が理解としているような人と人が交わす挨拶のみを意味するのでなく、武技・武芸の「技」の修練を日常生活の所作に位置付けた身体行動様式として理解するのが的確である」と同書では述べられています。
 挨拶はしっかり出来るのに、その言動に他者への思いやりが見られない人をよく見かけます。
 また「普段は挨拶のしっかりしている人だったのに…」などと報道される、自身の子どもを殺害するような凶悪犯罪者もいます。

 挨拶は従来、礼義の正しさを示すとともに、挨拶がしっかり出来る人の人格の正しさを示すイメージが持たれていると思います
 しかし社会の現状として、挨拶が出来るかどうかだけでは、人の人格までは分からないように思います。
 また挨拶のみで人格を判断しようとする偏りが、上記にあるような「礼法の弱体化」になっているようにも個人的に思います。
 昨今、礼法、礼儀、礼節などは一度、社会全体で見直されるべきに個人的に思います。

 挨拶、または履物を揃えるなどの礼儀、礼節は礼法の一部です。
 無論、礼儀、礼節をしっかり身につけることは大切です。
 しかし現代社会においては礼儀、礼節を包括し、その根本となる礼法を認識し、礼法を身につけることがもっと大切に思います。
 私は礼法の行動様式の源流が武技・武芸の修練の所作であるために、礼法を認識し、礼法を身につける手段においては、武道としての空手の稽古は最適な手段の一つに思います。

 礼法は上記の 3 つの礼法の要諦を実践することで認識、身につくものだと思いますが、3 つの要諦は武道として空手を修練していれば肌感覚で理解できるものです。

 以前読んだ時代小説で「自分より身分の高い人と話す時は、その人の顔を見ない」ことが、礼法として描かれていました。
 その理由は身分の高い人への遠慮とされていましたが、視野には相手の顔を見ずとも相手を視界の中で認識できる周辺視野というものがあります。

 周辺視野の活用は武技・武芸の極意ですが、顔を見ない礼法は武技・武芸の修練である周辺視野の活用を日常生活の所作に位置付けたもののように個人的に思います。
 私が思う、空手の稽古における礼法の 3 つの要諦の実践とは以下のとおりです。

 「他者意識」…対人稽古であるミット稽古でミットの持ち手が、ミットを打つ人が打ちやすいようにミットを持つことなど。

 「効率性の重視」…スパーリングでのサポーターの装着が遅れると限られた皆んなで共有する稽古時間を無駄に削ることになるので、稽古時間を 1 秒でも皆んなで有効に使うために準備などで人を待たせないようにすることなど。

 「状況に合わせた判断」…スパーリングで対戦相手が泣いたりすると、手加減をすることなど。

 上記以外にも礼法の 3 つの要諦は、武道としての空手の稽古においては随所で実践出来るものです。

 空手の稽古から感じられる礼法の 3 つの要諦の根底は〝人への気遣い〟や〝人への思いやりの心〟であり、それは「礼」そのものの基本理念です。
 礼法は、礼の基本理念である〝人の心〟が反映された身体行動様式です。
 新極真会徳島西南支部では稽古おいて礼法を認識し、身につけ、礼法に則した礼儀を示し、礼節を保てるように道場生を導きたいと思います。

 そして稽古以外でも、礼法に即した行動様式を道場生が社会で示せれるように導きたいと思いますが、その端緒は組手の試合です。

 組手の試合で反則をしないことは、空手で学んだ礼法を道場の稽古以外で示す手始めになると私は思います。
 組手の試合、特に我々の空手の組手の試合は突き蹴りを実際に当てるため、心身が浮き足立ち、乱れがちにになります。
 組手の試合での心身の浮き足立ち、乱れはルールが決められた組手の試合においては反則を誘発するものです。
 組手で反則をせずに試合をするには心身を沈め、コントロールすることが肝要になりますが、それは稽古において上記の礼法の 3 つの要諦を作用させることで身につくものです。

 社会構造の基盤は対人関係ですが、対人事象である空手の組手の試合で礼法を実践することは、空手の稽古で身につけた自身の礼法を正し、社会参加することに繋がると思います。
 道場だけの礼法、そして道場だけの礼義、礼節とならないように礼法を見据え「弱体化した」と言われる日本本来の礼法を、空手道場から社会に発信していきたいと思います。

 < ご案内・演武会 >
 今週の祝日、2/23 の金曜日に鴨島公民館 (〒776-0011 徳島県吉野川市鴨島町鴨島1) で行われる文化祭にて 13 時頃から演武会を行います。
 ご都合の良い人は、ぜひご観覧ください。
 2.20.2024 記