先ごろ入会された、若い外国人女性の道場生に以下のような質問を受けました。
「先生、護身術を習いましたが、習った時は出来たのに、後で友達を相手に護身術を練習してみると出来ませんでした。」 「悪い人にあったら、どうすれば良いですか?」
徳島県では、公的機関が主催する外国人向けの防犯講座が開催されており、時折ニュースで流れています。
ニュース映像では、暴漢に掴まれた腕を捻って暴漢を倒す、といったような護身術を練習する受講者の光景が見られます。
道場生の質問は恐らく、その防犯講座に参加してのことと思いますが、彼女の質問に対し私は、
「まず、悪い人に会いそうな場所には、行かないようにしなさい。」
「もし、悪い人に出あったら逃げるか、大声を出して周囲に助けを求めなさい。」
「悪い人に出あっても、戦おうと思ってはダメです。」と答えました。
空手の突き蹴りで暴漢を倒すような護身術を求めていた彼女は、思わぬ答えに、はぐらかされたような表情をしていました。
司馬遼太郎氏作の徳川家康を主人公とした「覇王の家」という小説に、〝素手で刃物を獲る馬鹿〟という以下の挿話があります。
以下引用
〝あるとき、浜松の城内で突如乱心した者があり、太刀風もあらあらしく棒振りまわして廊下を飛び歩き、人を見れば襲って傷つけた。
城内は大騒ぎになった。
それに対し、遠州出身の兵法自慢の者がスルスルと前へ出、その狂人の太刀を巧みにかわしながら手もとに付け入り、素手でもってその狂人 をとりおさえた。〟
その手際を見たものは兵法自慢の者を賞賛し、主君である徳川家康から褒美があるものと讃え、本心もその気になっていたが家康は無反応。
家臣が無反応の真意を家康に聞くと、家康から以下の返答。
以下引用
〝刃物に対して素手で戦うような者には大事はまかされない。
刃物には刃物、もしくはしかるべき捕り道具を用意せよ、かつは人数をあつめ、捕りものの部署をし、工夫をこらせ、しかるのち事無く捕えるのが当家にとって有用の侍である。
素手で捕ってみせようとする魂胆はおのれ誇りのあほうのすることで、そういう者に一手の軍勢をあずければ、自分の綺羅見せびらかすためにどういう抜け駆けをし、勝手戦をし、ついには全軍の崩壊をまねくような悪因をつくる。〟
家康が生きた戦国時代、織田信長、豊臣秀吉など、集団戦である戦にあまり有効でない個々の武術に関心を示さない武将は多くいました。
その中で例外的に家康は自らが剣術を習い、一定の技量に達するほどの腕前を持っていました。
しかし、そんな家康でさえ、上記の挿話にあるように実際には個々の武術に対し評価は低いものでした。
家康が武術に関心を示したのは、健康マニアだった彼の剣術という運動の健康作用が大元だった思います。
また、それプラス上記の挿話にあるように乱心者が暴れると戦国時代でも大騒ぎするほど、とっさの行動が取れるものは少なく、予期せぬ出来事に的確な行動が取れる〝機転を練る〟ために、武術訓練の効果を認め、武術家を家臣として取り立てていたように個人的に思います。
身の危険が常に周囲に付きまとっていた戦国時代、その最終覇者である徳川家康の上記の挿話には、私は本当の護身術の極意があるように思い、 この挿話がとても好きです。
道場生には護身術とは機転であり、いざ身を護らなければならない状況になれば、リスクを極力回避し、適切な行動が取れるように指導したいと思います。
昨日の中学生女子同士のスパーリング。
技の応酬に、機転の練り上げが感じられるかと。
昨日の鴨島道場
少年部クラス1 部(17 時45 分~18 時45 分)
少年部クラス2 部(19 時~20 時)
一般部クラス(20 時15 分~21 時30 分)
9.9.2021 記