東京出張に伴う私の健康観察期間での休講期間を明け、昨日は10 日ぶりとなる道着に袖を通しての通常稽古での指導。
久しぶりの通常稽古指導に気持ちが引き締まりました。
気持ちの引き締まりから指導にも熱が入り、気を抜いての誤りがあれば指導の語調も厳しくなったりしました。
語調が厳しくなれば道場生の緊張感が高まり、その緊張感が良い方向に働き稽古での間違いをしなくなったり、動きが良くなったりします。
厳しさを与えることによる良い方向への道場生の変化に指導の手応えを感じたりしますが、昨日の指導中にふっと思ったのは、〝この手応えを指導者は勘違いしてはならないと…〟。
厳しさによる手応えを勘違いすれば、それは支配欲となり、支配欲が過剰にエスカレートすれば時折報道されるスポーツ指導者の暴力となるように思います。
勘違いしないために肝要なのは、厳しさを良い方向へと導くように限度を設けることであり、その限度は道場生の年齢、体力等の条件をよく考慮することと思います。
指導が限度を超えた時、過剰なエスカレートは発生するように思います。
そして指導者が厳しさを与えることを支配欲としないためには、指導者が自分自身をわきまえることが大切であり、そのわきまえ方とは〝自分が人に厳しくできるような厳しいことをしてきたのか?〟に尽きると個人的に思います。
昨日の美馬道場
少年部クラス(19 時~20 時)
一般部クラス(20 時15 分~21 時15 分)
3.23.2021 記