前の日曜日に行われた昇段者稽古、参加者には黒帯になるにあたって色々なことを話しさせてもらいました。
その中で「空手の稽古は全て組手のためにある」「組手からブレないように」とのことは、特に強調して話しました。
稽古における基本、移動、型の中で組手に活きるエッセンスの探求を常に心掛けることを伝えましたが、それは物事の本質からブレない考え方を生き方にも反映して欲しいとの願いでもあります。
本質から逃げたり、誤魔化したりする人は虚飾、虚言を用い、虚飾、虚言を用いる人は、結局、人の信用を失います。
私は大した経験をしていませんが、その経験の中でも虚飾、虚言で信用を失う人を何度か見てきました。
我々の空手の創始者は〝金を失っても、信用を失ってはならない〟との言葉を残しています。
また〝証明がなければ、信用されない〟との言葉も残されています。
この二つの言葉は私自身心に刻んていると同時に、我々の空手の流派名に証明=真と〝真〟が用いられている所以であり、〝真〟は〝信〟であると個人的に解釈しています。
次の日曜日、昇段する道場生には、道着の胸に刻まれた〝真〟を〝信〟とする生き方をして欲しいと思います。
3.31.2021 記