空手のススメ、徳島の田舎道場から

written by 逢坂祐一郎(新極真会 第8回世界大会 2位)

自らの使命を感じるススメ、徳川家康の遺訓にみる武道の本質的な精神性

 昨日の火曜日 (3/21・祝日 ) は京都市にて関西錬成大会でした。

 主催された村山師範、京都南支部のスタッフの皆様、素晴らしい大会をありがとうございました。

 また道場生が参加させていただきありがとうございました。
 新極真会徳島西南支部からはトキ君が出場。

 結果は一回戦敗退。
 スタートラインには立ったばかり、スタートラインからの道に〝自分の使命〟を感じて、これからの一戦、一戦を身体に刻み、少しずつ強くなって欲しいと思います。
 保護者様もお疲れ様でした。

 さて先日、とあることからスポーツの由来をインターネットで簡単に調べてみました。
 調べてみると「「sports スポーツ」の語源はラテン語の「deportare デポルターレ」にさかのぼるとされ、「ある物を別の場所に運び去る」が転じて「憂いを持ち去る」という意味、あるいは portare「荷を担う」の否定形「荷を担わない、働かない」という意味の語である。これが古フランス語の「desporter」「(仕事や義務でない)気晴らしをする、楽しむ」となり、英語の「sport」になったと考えられている。」とあります。

 私は常々、スポーツと武道は違うものと思っています。
 スポーツと武道の違いで書きたいこともありますが、それは機会を改めたいと思います。

 スポーツと武道の違い、その違いは両者の精神性の違いにあると思います。
 スポーツの本質的な精神性は〝楽しむこと〟だと思います。
 それに対し武道の本質的な精神性は、スポーツに対義的なニュアンスのある〝すべきこと〟だと思います。

 武道の本質が〝すべきこと〟と思う由来は、しつこくブログで書いているように武道は武士道であると思う私見にあります。

 武士道は武士の精神的美意識であることから、武道の本質的な〝すべきこと〟は、上記のスポーツの由来にある「仕事や義務でない、気晴らし」とは真逆の仕事的、義務的であることから生じていると思います。

 歴史的に代表的な武士と問われれば、徳川家康が挙げられると思います。
 徳川家康は今年の大河ドラマの主人公にもなり、武家の棟梁とされる征夷大将軍になった正しく歴史的に代表的な武士です。
 その徳川家康の遺訓に下記のものがあります。

 〝人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
  不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
  堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
  勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
  おのれを責めて人をせむるな。
  及ばざるは過ぎたるよりまされり。〟

 本当に言ったかどうか定かではないとされていますが、大河ドラマを見ている人はこれからのドラマの展開で、上の言葉が徳川家康の人生が描写されたものであり、遺訓に妥当するものと感じると思います。

 スポーツの由来には冒頭に表記したように「荷を担わない」とあります。

 徳川家康の遺訓の冒頭には〝重荷〟がありますが、代表的な武士の遺訓に〝重荷〟があるのはスポーツと武士道の違いを鮮明にしていると私は思います。
 私はが思う、武道の本質的な精神性である〝すべきこと〟は、時として〝重荷〟であるかもしれません。

 しかし〝重荷〟は、自ら背負うことで〝自らの使命〟になると思います。
 そして〝自らの使命〟は〝責任感〟という、社会人としての大切な資質になると思います。
 社会人の資質を身につけることが、武道を学ぶ上での一番大切な意義と思います。
 新極真会徳島西南支部の道場生には、試合を通し、稽古を通し、武道の本質的な精神性から、武道を学ぶ意義を全うして欲しいと思います。

 < ご案内 >
 新極真会北東あわじ支部さんとの合同稽古を下記の通り開催致します。
 都合の良い道場生の皆さんは、ぜひご参加ください。
 3/26 ㈰…徳島県立中央武道館・剣道場にて 10 時~12 時 < 道着着用 >
 4/2 ㈰…鴨島東中学校にて 10 時 15 分~12 時 15 分 < 道着着用・先に案内している昇級審査会での支部内強化稽古を変更 >
 4/7 ㈮…徳島県立中央武道館・柔道場にて 18 時 45 分~20 時 45 分 < 道着着用 >
 3.22.2023 記