空手のススメ、徳島の田舎道場から

written by 逢坂祐一郎(新極真会 第8回世界大会 2位)

スポーツと武道を区別することのススメ、混同することで起きる弊害 < スポーツ指導者の暴力 >

 前回のブログで「スポーツと武道は違うものであり、本質的な精神性が根本的に違う。」といったことをを書きました。
 前回のブログでも引用しましたが、スポーツの由来をインターネットで調べると下記の記載に行き当たります。

 「sports スポーツ」の語源はラテン語の「deportare デポルターレ」にさかのぼるとされ、「ある物を別の場所に運び去る」が転じて「憂いを持ち去る」という意味、あるいは portare「荷を担う」の否定形「荷を担わない、働かない」という意味の語である。
 これが古フランス語の「desporter」「(仕事や義務でない)気晴らしをする、楽しむ」となり、英語の「sport」になったと考えられている。

 私はしつこく述べるように、武道を武士の精神美意識である武士道と思っています。
 スポーツの由来から、スポーツの本質的な精神性は〝楽しむこと〟に思います。
 それに対し武士道としての武道は、武士が昔の人の職業でもあったゆえに、スポーツの由来が「仕事や義務でない、気晴らし」であることに対義的な仕事的、義務的な〝すべきこと〟が武道の本質的な精神性だと私は思います。

 スポーツと武道は、その精神性において異質なものに区別できると思います。
 スポーツの精神性はスポーツマンシップであると思いますが、スポーツマンシップをインターネットで調べると下記の記載に行き当たります。

 「スポーツマンシップ(英 : sportsmanship)は、スポーツを起点とした相手に対する思いやり、ないしは一個人として正しい行い全ての総称である。」

 さらに「日本では大正時代末ころからスポーツという言葉は一般化されたが、当時は欧米から入ってきた運動そのもの(例えば野球やテニスなど)だけを指していた。日本でも「スポーツ」が競技を意味するようになったり、柔道や空手などの武道が競技として発展し「スポーツ」として認知されるようになったのは戦後のことである。」とあります。

 柔道や剣道は戦前から競技として行われていましたが、戦前は実際にスポーツと武道は区別されていたようです。

 しかし現代はスポーツと武道は混同されています。

 現代におけるスポーツと武道の混同は致し方のない一面があり、混同が両者にとって良い相乗効果をもたらす場合もあると思います。
 しかし両者の精神性の違いははっきりと区別し、混同すべきでないように個人的には思います。

 〝楽しむこと〟を本質とするスポーツにおいて、その精神性であるスポーツマンシップとは、スポーツの楽しみを共有する人々同士の思いやりと敬意です。

 スポーツはその精神性の本質から人種、宗教を超えた多くの人々が親しみやすいものであり、誰もが親しみやすいスポーツから派生するスポーツマンシップは、人種、宗教などを超えた世界平和の基盤となるものと思います。
 私はスポーツ、スポーツマンシップは、全人類に浸透すべき文化のように思います。
 スポーツが全人類に浸透する、かけがえのない素晴らしい文化として根付くには、その精神性の本質である〝楽しむこと〟を何よりも忘れてはならないと思います。

 しかし現代のスポーツ、特に日本のスポーツはその本質を見失っている一面があると思います。
 日本のスポーツが本質を見失っている一面とは、スポーツ指導者による暴力です。

 先日の徳島新聞でも、添付画像の記事が掲載されていました。

 私はスポーツにおいて暴力が絶えない一因は、スポーツと武道の混同にあると思います。
 スポーツが競技における勝利至上主義に偏執した時、スポーツ指導者は勝利のために誤った武道精神を用い、そしてスポーツマンシップを見失い、暴力が起こるのだと思います。
 愚かなスポーツ指導者が用いる誤った武道精神としては、一例として絶対服従的な〝縦の関係〟があります。
 〝縦の関係〟は武道精神の重要要素でありますが、武道における〝縦の関係〟は、武道の本質的な精神である〝すべきこと〟に端を発するものです。
 〝縦の関係〟の源泉となる武道の本質的な精神性〝すべきこと〟は、技術や思考における正しい理、またはその先達、年長者を敬うといった敬意にあると思います。

 武道における〝縦の関係〟には、技術や思考における正しい理や敬意が介在するものであり、不条理、盲目的な絶対服従ではないと私は思います。
 ちなみに武道に流派がある一因は、技術や思考における正しい理が、いく通りもあるからだと思います。

 勝利至上主義に偏執したスポーツ指導者は、勝利のために自己に都合よく解釈した浅はかな武道精神を用い、武道精神の〝縦の関係〟を絶対服従と勘違いし、それがエスカレートして暴力に及ぶように私は思います。

 私は本来スポーツは、武道性を感じさせないものであるべきに思います。
 スポーツでは武道のように恭しく礼儀を行う競技もありますが、スポーツにおける礼はスポーツマンシップによって敬意を示す、フレンドリーな礼で良いものと私は思います。
 礼儀のみならず武道のようなスポーツには、はなはだ違和感を私は感じます。
 また昨今は、同様に違和感を感じるスポーツのような武道も見受けられます。
 スポーツのような武道については、またブログで書く機会を改めたいと思いますが、武道もその本質的な精神性を見失ってはいけないと思います・
 武道の本質的な精神性は〝すべきこと〟にあり、その精神性は武道を稽古するものにとって、広く社会的な責任を担うこともできる、リーダーシップを培養するものと思います。

 以前のブログで書いたように「武士道精神は、これからの社会の希望となる」と唱える作家もおられます。
 スポーツのスポーツマンシップが世界平和の基盤となるように、武士道精神たる武道精神で培養されたリーダーシップは、世界平和を牽引するに足るものとなるように思います。
 新極真会徳島西南支部は、スポーツと武道の違いを明確に示す空手道を標榜していきたいと思います。

 < ご案内・道場生対象 >
 次の日曜日 (3/26) に下記のとおり新極真会徳島北東あわじ支部さんと合同稽古を行います。
 徳島合同稽古…3/26 ㈰、徳島県立中央武道館・剣道場にて 10 時~12 時 < 道着着用 >
 参加できる道場生は頑張りましょう !!
 3..24.2023 記