空手のススメ、徳島の田舎道場から

written by 逢坂祐一郎(新極真会 第8回世界大会 2位)

見えない約束を守ることのススメ、我々の空手の型、平安 2 の第 13 挙動

 空手の稽古は、例えば「正拳中段突きはみぞおちの位置を突く」といったふうに動作に〝決まり〟があります。
 〝決まり〟は〝約束〟でもあります。
 我々の空手の型、平安 2 の第 13 挙動は「背刀で相手の足を打ち、そのまま内受けを行う」と、私は習いました。

 ちなみに〝空手の型〟をインターネットで調べると、以下の通りです。
 仮設された外敵より自分を守るために想定された攻防を、一定の演武線上で行なう自己防御の姿勢

 総じて空手の型の動作は、組手 ( 相手と実際に戦う稽古もしくは試合 ) での実際の用法においては、決まった動作からいく通りも応用されるものであり、応用では決まった形 ( かたち ) が変化する場合もあります。
 しかし我々の空手の型、平安 2 の第 13 挙動では、型稽古としては背刀打ちを〝約束〟として行わければなりません。

 背刀は手刀の親指を手のひらへと折り込んだ形ですが、平安 2 の第 13 挙動は素速く行うため、型を見るものには、型を行っているものが実際に背刀打ちを行っているかどうかは分かりません。
 背刀打ちを行うべきところを手刀であったり、ただ指を伸ばしている状態であったりしても、動作が速くて見分けようがありません。
 平安 2 の第 13 挙動は、いわば〝見えない約束〟といえるものです。

 〝見えない約束〟は、見えないゆえに、それを守る意識が薄くなりがちになります。
 また平安 2 の第 13 挙動には「相手の前蹴りをすくうように受け、相手をそのまま倒す」といった解釈があります。
 その解釈の場合「相手の蹴りをすくうには、背刀ですくうよりも手刀ですくった方が足をひっかけやすい」として「背刀にこだわるべきでない」といった見解もあります。
 空手の型では解釈の違いから、背刀を手刀にするような約束の変更が起こりがちですが、そういった事も相まって空手では〝見えない約束〟を守る意識が薄くなりがちになります。

 しかし相手の足をすくう場合、手刀にしろ、背刀にしろ、咄嗟に手先の形を手刀、背刀の形に整えなければなりません。
 そういった咄嗟の体の、特に手先のような細部のコントロールは頭の理解だけで出来るものでなはありません。
 体の細部のコントロールは〝仕付けられた体〟によって可能になるものですが、その体の仕付け方に平安 2 の第 13 挙動のように〝見えない約束〟をきっちり守る事は大きな効果があります。

 空手は組手を目的とするもので、組手は攻防が目まぐるしく千変万化するものです。
 目まぐるしくく千変万化する組手では、その折々の瞬間的な攻防に最適な動作を行わければなりませんが、その瞬間的対応力は〝見えない約束〟で仕付けられた体から生じるものと私は思います。

 道場生には空手の稽古動作において多数存在する〝見えない約束〟をきっちり守り、組手に必要な咄嗟に応じる瞬間的対応力を身につけて欲しいと思います。
 また〝見えない約束〟を体に仕付けることは〝見えないこと〟への意識となりますが、〝見えないこと〟への意識はそれを心掛ける人の品位や信頼になるものと思います。

 〝粋 ( いき )〟という言葉があります。
 意味をインターネットで調べると〝粋 ( いき )〟の意味は広範に及びますが、下記のとおりに要約できます。
 粋とは江戸時代に生じ、時代に従って変転した美意識(美的観念)。
 単純美への志向であり、庶民の生活から生まれてきた美意識である。
 また粋は親しみやすく明快で、意味は拡大されているが、現在の日常生活でも広く使われる言葉である
 粋は「彼は粋な男だ」などど、男女ともに、その人の人柄としての良さを表す言葉の一種として現代でも使われます。
 上記に「庶民の生活から生まれてきた美意識」とありますが、江戸の町人文化では、着物を一式あつらえる時に〝足袋〟を上等なものにすることが〝粋〟とされると、何かの本に書いてあったように思います。

 足袋はあまり目立たないもので、それを上等なものにしてもあまり意味がないように思いがちですが、あえて〝見えないもの〟へ意識を高めることが美意識となり、〝粋〟としての品位に江戸の町人文化ではみなされたようです。

 また知り合いの車屋さんから聞いた話では、自動車の有名メーカーの車の車体は見えない部分でも塗装がしっかりされているそうです。
 メーカーによっては車体の見えない部分の塗装が雑なメーカーもあるそうですが、知り合いの車屋さんからは「車体の見えない部分もしっかり塗装をしているメーカーの方が万事信頼できるもので、そういったメーカーの車を選んで方が良い。」とアドバイスしてもらったことがあります。
 〝見えないもの〟へ意識は、上記のように信頼も得るものであるように思います。

 足袋に配慮すること、車体の塗装に配慮すること、〝見えないもの〟への意識は品位や信頼になるものです。
 〝見えないもの〟への意識は、〝見えないこと〟への意識から派生するように思います。

 ここでいう〝見えないもの〟は足袋や車といった自分以外の対象物ですが、〝見えないこと〟は自分の動作といった自分に直接かかわる事象です。
 人の品位や信頼は、その人の言動で決まるゆえに、〝見えないもの〟への意識と〝見えないこと〟への意識の関連性は大いにあるものと思います。
 道場生には空手の稽古において存在する〝見えない約束〟をしっかり守るように指導し、自分自身への意識である〝見えないこと〟への意識を高め、それを道場生の品位と信頼へと繋げていきたいと思います。
 また〝見えない約束を守る精神〟それは〝自分を律する心〟であり、「空手は自分を律するものである」と説かれた我々の空手の創始者の教えに沿うものと思います。
 4.25.2023 記