空手のススメ、徳島の田舎道場から

written by 逢坂祐一郎(新極真会 第8回世界大会 2位)

男は強く、男らしくあることのススメ、「男は強くは、有害な思想」との主張に対する疑問

 先週の土曜日 (11/25) は、MIMA イルミネーションというイベントでの演武会でした。

美馬イルミネーション演武会11.25.2023 - YouTube

 出演してくれた道場生の皆んな、ありがとうございました。
 皆んな、よく頑張ってくれました。

 また、見にきてくれた道場生の皆んな、保護者の皆様もありがとうございました。

 次の演武会は、コロナ前は毎年ほとんど参加していた鴨島公民館・文化祭 <2024 年 2 月 23 日 ( 金・祝 )> での演武を予定しています。
 コロナ禍でここ数年、出演の機会がありませんでした。
 出演は希望団体の抽選で決まり、まだ確定ではありませんが、予定として演武の内容を今から考えていきたいと思います。
 次の演武場所は、立派なホールでの演武です。
 演武もホールでの演武に見合ったものにアレンジしようと思いますが、今回出演してくれた皆んな、都合が合えばまた参加してください。

 また今回、参加しなかった道場生の皆さんも都合が合えば、ぜひ参加してください。

 さて、先々週の 11/19 は国際男性デーであったそうです。
 その日の前後で色んなメディアで国際男性デーに関するコラムなどを目にしましたが、その中の一つに〝「男は強く」有害な思想〟と主張するコラムを見かけました。
 「男は強く」=「男らしさ」であり、「男らしさ」に捉われることが夫婦間、恋人感で〝女性をリードしなければならい〟といった男性の意識を生み、そういった意識が〝女性を従属的な存在〟と捉え、男性によるドメ スティック・バイオレンスを引き起こす、といったことが、そのコラムでは書かれていました。

 私は武道としての空手を指導するものですが、武道としての空手は「男は強く」=「男らしさ」といった思想を持つ一面があり、私もその思想の影響を色濃く受けて日々の空手指導を行っています。
 ゆえに〝「男は強く」有害な思想〟との主張には、疑問を覚えます。
 「男は強く」=「男らしさ」→〝女性をリードしなければならない〟といった思想からの発想の展開は、当然として起こり得るものと思います。
 しかし〝女性をリードしなければならない〟といった発想意識が、〝女性を従属的な存在〟との認識になることには、なぜ「なぜ、そうなるのか ?」と、はなはだ疑問に思います。

 我々の空手は〝強さは優しさ〟〝優しさは強さ〟と説きます。  客観的に、力などの身体的特徴としては、女性は男性より弱いものです。
 我々の空手の観念としては、単純に力の弱い女性に対して、男性は優しくなければならないものです。

 我々の空手では男女でスパーリング ( 自由に技を攻防させる、試合形式の稽古 ) を行いますが、通常、男性が力に任せて女性を圧倒したりすることはご法度とされています。
 我々の空手の観念からすれば「男は強く」という思想からの〝女性をリードしなければならい〟といった意識は、〝女性を守る〟といった意識となるものです。
 〝女性へのリード〟が、〝女性を従属させる〟との意識転換は、我々の空手の観念からすれば、全く不可解に思います。
 私は認知能力についてブログでよく書きますが、認知能力は、〝見る力〟〝聞く力〟〝想像する力〟などとされています。

 強さを単純に〝力の弱い人を守る〟とイメージぜずに、〝弱い人を従属させる〟こととイメージすることは、〝想像する力〟の認知能力の乏しさに思います。

 国際男性デーでは「〝男なら弱音を吐くな、男なら泣くな〟は、もうやめよう。」と唱えられていました。

 また私が疑問を覚えたコラムでも「男性だってつらければ弱音を吐いていい。」と書かれていました。
 確かに「男だから弱音を吐いてはならない、泣いてはならない。」と決めつけるのは暴論に思います。
 同コラムでは「男らしさのよろいを脱ぎ捨ててれば、自分らしく幸せに生きられる」とも書かれていました。

 「男らしさ」における〝らしさ〟について改めて思うに、〝らしさ〟とは一般的に自分のあるべき、ありたい、などの自分の思い描くイメージの一種に思います。
 我々の空手のように〝強さは優しさ〟〝優しさは強さ〟とのイメージを持ち、「男は強く」=「男らしさ」と思想として思うことは、自分のあるべきイメージを自己の外に求めることだと思います。

 それに対し〝自分らしさ〟を求めることは、自分のありたいイメージを自己の内に求めることだと思います。
 自己の内に自分のありたいイメージを求める事を否定する訳ではありませんが、そういった人が、もし「強さは、弱い人を従属させる」ことなどの乏しい認知能力の持ち主だった場合、それこそドメスティック・バ イオレンスようなことの引き金になるように私は思います。
 私は〝らしさ〟は全てがそうでなくても、大半は自己の外にイメージを求めるべきだと思います。
 そうすることによって、イメージの膨らみとしての認知能力が高まり、何事においても自分を高めようとする向上意欲の根源にもなったりすると思います。

 我々の空手のみでなく、日本の社会は中世以来、〝強さは優しさ〟〝優しさは強さ〟としてのイメージが流布されてきました。
 童話で鬼ヶ島へ鬼を退治しに行ったは桃太郎は、明治時代の唱歌で「気は優しくて、力持ち」と歌われています。
 現代の漫画やアニメはそういった文化が反映されていますが、ドラゴンポールの孫悟空は最強でありながら奥さんには頭が上がりません。

 〝「男は強く」有害な思想〟との主張には、認知能力の乏しさとともに、自国の文化への認識の薄さを感じます。
 〝「男は強く」有害な思想〟との主張の背景には、〝自分らしさ〟を求めるとのことから、今、さかんに唱えられている〝多様な社会〟の思想があるように思います。

 「日本は閉鎖的で、多様な社会としては遅れている。」と、国際社会で言われています。
 しかし、上記のように指摘する国々の多くが一神教であるのに対して、日本は大昔から〝八百万の神々〟を認めてきました。
 八百万と号する様々な神々の存在を認め、その文化が培われてきた現代ではクリスマスを祝えば、正月も祝います。
 また七五三を祝えば、ハロウインも楽しみます。  上記のようなことから、「日本ほど、昔から多様性をもった国はない。」と、以前読んだ本では書かれていました。

 「日本は多様性で遅れている。」と指摘する国々の歴史を見ると、人種差別や異教徒への弾圧の影が付きまといます。
 その影は今も付きまとい、今、中東で行われている病院を攻撃するような戦争の背後には、それらの国々の影がちらつきます。
 個人的には、自国の歴史を知らず、他国の指摘を真に受けて、自国の文化認識が薄いように感じる主張には、民度の低下を感じます。

 私は自分のあるべきイメージとして〝空手の先生らしく〟あろうと思います。
 私のイメージの空手の先生は〝強くて、優しい〟です。
 我々の空手の思想である、優しさの根底は強さであるとして、自身の練磨をたゆまぬように心がけて行きたいと思います。


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 < ご案内 >
 次の金曜日 (12/1) の徳島市加茂道場の稽古は全クラスお休みです。
 関係者の皆様、よろしくお願い致します。

 11.28.2023 記