空手のススメ、徳島の田舎道場から

written by 逢坂祐一郎(新極真会 第8回世界大会 2位)

〝常在戦場〟のススメ、想像する力を働かせる心構え

 本日の火曜日 (1/9) より、私が指導するクラスは本格始動、このブログをご覧いただいてる皆さん、本年もよろしくお願い致します。

 1/2 ㈫は恒例の新春スパーリングを開催。
 今年も新極真会徳島北東あわじ支部出身で、現在、新極真会世田谷・杉並支部で活躍する神原詠二選手も帰省の折で参加してくれました。

 新年からハードで良い稽古が出来ましたが、稽古に参加された皆さん、付添いの保護者の皆様もお疲れ様でした。

 また 1/5 ㈮には、支部内強化稽古を実施。

 2 クラスに別れてこちらもハードな稽古を行いましたが、参加した道場生の皆さん、お疲れ様でした。

 さて新春スパーリング、支部内強化稽古と実践的でハードな稽古を、新年の浮かれた気分の時期に盛り込むには、私なりの意図があります。
 それは〝常在戦場〟の心持ちを示すためです。

 〝常在戦場〟は旧長岡藩の家訓であり、長岡出身の連合艦隊司令長官山本五十六大将の座右の銘としてよく知られる言葉です。
 意味はおおむね「常に戦場にいるような心持ちでいること」ですが、昨年の全中国大会では、大会を主催された広島支部支部長・大濱師範が大会のテーマとされて、同大会の記念 T シャツにもプリントされていました。
 昨年の全中国大会では、大会の総括として「我々、武道を志すものは〝常在戦場〟を忘れずに、鍛錬を怠ってはならない。」といったことを大濱師範がお話され、私も感銘を受けました。

 〝常在戦場〟とは一見、軍国主義めかしく聞こえる言葉ですが、戦場とは本来が非日常的な場であり、〝常在戦場〟は総じての思わぬ非日常的な出来事に備える心構え説く言葉になります。

 思わぬ非日常的な事に備える心構えとは、それを辿ると〝思わぬ非日常的な事が、いつ起きるかもしれない〟という想像力を働かせることにもなります。
 日本は古来より自然災害が多かったため、日本人はそれまでの生活が一変するような非日常的な事が起こることを意識し、起きる事への想像力を働かせてきたと言われています。
 その想像力に、情操が加わって〝諸行無常〟のような日本人特有の〝もののあわれ〟という情緒を生んだと言われますが、非日常的な事への想像力に、それに屈しない不屈の精神が加わって、心構えとしての〝常在戦場〟は派生したように個人的に思います。

 非日常的な事への想像力は、私がブログでよく書く〝見る力〟〝聞く力〟などの認知能力の一つである〝想像する力〟です。

 日本は特有の自然環境によって、そこに住む日本人の認知能力を高めてきたように個人的に思います。
 現代、認知能力は子ども達の学習能力の根幹とされています。
 また学習面のみならず、重大な犯罪を犯す子どもたちは認知能力が一般的に低いとされており、認知能力は子ども達の発育全般にかかわる重要な能力とされいます。

 現代社会はインターネットの普及により、子ども達の認知能力、特に〝想像する力〟の向上が阻害されていると思います。

 インターネットは〝想像空間〟などと言われますが、現在、インターネット上では嘘や中傷・誹謗が蔓延しています。
 SNS など会ったこともない人と友達になるインターネットの想像空間は、〝実態の無いまたは見えにくい想像空間〟であり、そこに浸るものは〝嘘〟を想像と混同し、中傷・誹謗で自己満足を想像しているように個人的に思います。
 SNS で横行している嘘や安易な書き込みで人を騙し、傷つけることなどは、「自分の書き込みを人がどう思うか」などの想像力の欠如に思います。
 実態の無い、見えにくいインターネットの想像空間にのめり込むと、個人的に認知能力〝想像する力〟は乏しくなっていくように思います。

 現代社会にあってはインターネットの想像空間に踊らされない、実態を感じ、想像する〝常在戦場〟のような心構えを持つ事が非常に大切に思います。

 1/1 ㈪には北陸で大きな地震が発生し、たくさんの方が亡くなりました。
 また、その関連事故ともいえる航空事故も起こりました。
 自然災害、重大事故など、実態としての非日常的な出来事は、いつ起きるか分かりません。
 古来より日本人が培ってきた認知能力としての想像力を、失ってはならないと思います。

 〝常在戦場〟の心構えは非日常を想像する力が根本ですが、その力を養うには非日常を常に短かに感じることが一つの手段に思います。
 北陸地震のテレビニュースで被災された方が「水も電気も断たれた、今の生活は過酷です。」とインタビューで応えていました。
 その過酷な生活を想像すると、身につまされる思いがします。
 非日常的な事は、過酷です。
 しかし過酷なことに、心身を損なわない程度に身を晒すことによって、非日常を常に短かに感じることが出来るようなると私は思います。

 通常、人にパンチ、キックをしたりすることは非日常的な行為です。
 空手、特に実際に組手で突き蹴りを当てる我々の空手は、過酷な非日常的な行為を礼に正して稽古する心身を高める武道です。
 我々の空手は、非日常を短かに感じることのできる最良の手段であると思います。
 今年も実質、新春スパーリングで幕を開けた新極真会徳島西南支部の稽古、今年は道場生の〝常在戦場〟を心構えの一層高めて行きたいと思います。
1.9.2024 記