空手のススメ、徳島の田舎道場から

written by 逢坂祐一郎(新極真会 第8回世界大会 2位)

〝相対的な自由〟のススメ、空手のスパーリング・組手から生成される〝相対的な自由〟

 一昨日の日曜日(5/12)は、徳島県三好郡にて第6回徳島県フルコンタクト空手道選手権大会・オアシス杯でした。 

 大会を主催、運営された聖空会山本道場・山本師範、山本道場スタッフの皆様、大会に参加させていただきありがとうございました。

 新極真会徳島西南支部からは22名がエントリー。
 今回は組手部門のみの大会でしたが、イッシン君、タイト君、アヤネちゃん、イロハちゃん、ユイト(白川)君、アシュウ君が優勝、キイト君、ソウシロウ君、イマリちゃん、ユアちゃんが2位でした。

 入賞できた道場生も、できなかった道場生も皆んな、よく頑張りました!!
 皆んな、お疲れ様でした。

 また保護者の皆様も、お疲れ様でした。

 さて私事ですが、先日、スパーリング中に足の中指を突き指し、2週間ほど、びっこを引くような怪我をしました。
 結構ひどい突き指で 1ヶ月以上経過した今でも腫れがひいていませんが、びっこを引いて歩いている期間は生活全般において、とにかく不自由な思いをしました。
 びっこを引かなくなり、ある程度自由に動けるようになると、改めて自由に動けることの有難さを感じましたが、私が特に自由に動けることの有難さを感じたのは空手の稽古においてであり、それも格別スパーリングにおいてです。

 先般「スパーリング・組手で相手の技の被弾による痛みで体がすくみ、スパーリングで自由に動けなくなるのは、痛みに自由を奪われることであり、痛みに耐える打たれ強さを身に付け、痛みに屈せずスパーリング・組手で自由に動くことは、自由の本質を身に付けることになる」といった内容のブログを書きました。
 怪我の痛みも、上記同様にスパーリングでの自由を奪うものになりますが、先日の負傷では、私自身がスパーリングにおける自由の意義を改めて再考する機会となりました。

 空手のスパーリング・組手で感じる自由とは、逆説的に痛みが自由を奪うことから、自分に痛みを与える対戦相手があってこそ感じる自由となります。
 スパーリング・組手での自由は〝対戦相手に自由に攻勢を加える〟もしくは〝自由に相手をコントロールし守勢を保つ〟といった対戦相手との攻防の中で表出されるものです。

 自由な攻勢、自由な守勢とは、〝相手の守勢、攻勢に囚われないこと〟から成り立ちますが、〝相手に囚われない〟ことは自由そのものの本質の一端になると思います。
 また空手のスパーリング・組手では相手の守勢、攻勢に囚われると、対戦相手への空回り、対戦相手との衝突などが起こりますが、空回り、衝突などは、痛みなど自由を奪う要因の元になります。

 〝相手の守勢、攻勢に囚われないこと〟は、対戦相手に対する空回りや衝突などの回避、もしくは一時的な衝突があっても止まらずに動きを妨げられないことであり、衝突への回避、衝突に妨げられない動きは、対戦相手との〝調和〟を織り成す一面があります。
 以上のようなことを、つらづらと考えるに空手のスパーリング・組手における自由は、対戦相手があってこそ成り立つ〝相対的な自由〟と言えるように思います。

 ところで〝相対的〟の対義語は〝絶対的〟ですが、〝相対的な自由〟に対して〝絶対的な自由〟といったことが、あるように思います。
 〝絶対的な自由〟とは、何事、何者にも囚われない至高の自由のようなイメージがありますが、私が思う〝相対的な自由〟の対義的観点から見据えると、そのイメージは成り立たないように思います。

 〝絶対的な自由〟がどういったものかを考えるに、〝相対的な自由〟が人との調和を織り成すのに対し、〝絶対的な自由〟とは自分本位に何事、何者にも囚われないことが裏目に出る、自分の我執に囚われた〝エゴの自由〟であるように私は思います。

 昨今の世相では、人の主張を押しのけ、自分の主張ばかりを正当化し、それを自由とする風潮が多く見受けられますが、そういった自由に私は〝絶対的な自由〟を感じます。
 自由は、誰にあっても自由であるべきです。

 自分の自由が人の自由を阻害するものであれば、それは自由とは呼べないものだと思います。
 「誰にあっても自由である」本来の自由が社会に行き渡るには、社会参加する人たちが、自分と関わりのある人に対しての〝相対的な自由〟を一つ一つ丁寧に構築することが必要に思います。
 空手、特に突き蹴りを実際に当てるスパーリング・組手を行う我々の空手は、人との調和を基軸とする〝相対的な自由〟を身に付ける最適な手段の一つに思います。


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 私は空手の指導者として自身の〝相対的な自由〟を深め、人との調和を基軸とする 〝相対的な自由〟を道場生に指導していきたいと思います。

 5.14.2024 記